盛岡話をもうひとつだけ。
盛岡の北にある渋民出身の石川啄木
、そして盛岡の南にある花巻出身の宮沢賢治
、
このふたりがいずれも盛岡で過ごした時期があることから、
盛岡には「もりおか啄木・賢治青春館」なるものがあるのですね。
両者にまつわる資料の展示があるのですけれど、
さほど時間に余裕がなかったものですから、
このときはもっぱら建物の方に注目したのでありました。
今では「啄木・賢治青春館」と名を変えた建物というのが、
明治43年(1910年)に建てられた第九十銀行本店ということなのだそうです。
この建物が建ったころには、
啄木はすでに東京に出て本郷菊坂
のあたりに住まっていたわけですが、
賢治の方はちょうど旧制盛岡中学に在学中であったとなれば、
このレンガ造りの洋館に新しい息吹きを感じつつ、
賢治はこの建物を見上げていたかも知れぬなどと思えてもくるわけです。
内装的にもレトロな雰囲気が何とも言えないわけでして、
先月訪れた猪苗代湖畔の天鏡閣
の記事でも試みましたが、
写真でそうした一端が伝わりますかどうでしょうか。
ところで、啄木・賢治青春館のほんのちょっと先には
また別のレトロ建築があるのですね。こちらです。
現在もなお岩手銀行中ノ橋支店として銀行業務の現役なわけですが、
先の第九十銀行の竣工から遅れること数ヶ月、明治44年(1911年)4月に
旧盛岡銀行本店として建てられたものといいますから、銀行業務ひと筋100年ということに。
レンガの感じからしても、東京駅を手がけた辰野金吾
も設計に携わったというのが
頷けるところではないでしょうか。
先の第九十銀行本店もこの盛岡銀行本店も、
盛岡駅からはいささかへだたった中津川沿いに建っていますけれど、
盛岡城
は川を挟んで目と鼻の先という位置関係。
例によって駅は市の中心から外れたところにあったのでしょう、
この中津川近辺がまさに盛岡の中心だったのですね。
そして、中津川沿いに中ノ橋のひとつ先の端のたもとには
新渡戸稲造先生の胸像が川面を望むように置かれておりました。
明治17年(1884年)にはアメリカ留学へと旅立ち、
帰国後も郷里盛岡にそうそう落ちついている間もなかったのではと思うと、
たとえ胸像の目の端であってもレンガ造りの洋館が望めるとすれば、
新渡戸先生もお喜びではなかろうかと。
とまあ、束の間明治の息吹に触れる盛岡の街でありました。





