昨晩、出張から帰ってきましたけれど、ちょっとした時間を有効活用して赴いたところの
多少の写真(例によって携帯ですが…)がありますので、ご覧になってやってくださいまし。
朝早々の時間を使って盛岡城跡公園(岩手公園)をひと巡りしてみたのですね。
例のファスナー事件 はこの後のことですので、いまだ気分としては悠々と闊歩しとりました。
素直に表玄関からお訪ねするというより裏口からこっそりというアプローチでしたので、
木立の間から石垣がのぞくという、なかなかの雰囲気でお出迎えでありましたよ。
ところで、この不来方のお城こと盛岡城は日本百名城のひとつだそうですが、
残念ながら天守閣はありませんですね。ある方が珍しいのでしょう。
とまれ、この城の謂われのほどを(案内板をたよりに)ひとくさり。
盛岡城は…南部信直(盛岡藩初代藩主)が、慶長2年(1597年)に嫡子利直(2代藩主)を総奉行として築城を始めたと伝えられ、翌慶長3年(1598年)の正式許可の後、築城工事が本格的に進められました。
…廃藩置県の後明治5年(1872年)に陸軍省所管となり、明治7年(1874年)には内曲輪(御城内)の建物の大半が取り壊され、城内は荒廃しましたが、明治39年(1906年)に・・・岩手公園として整備され、市民の憩いの場として親しまれています。
ということですので、石川啄木 が盛岡中学時代、
つまり十五の心が空に吸われちゃったなぁ…と感じていた頃は
未だ整備されない荒廃状態の最中であったものと思われます。
それだけに荒れ城のそこここにかつての名残を偲ばせて、
啄木の詩心をくすぐったのではないでしょうか。
二の丸跡には、例の有名な歌を刻む石碑が建てられておりました。
啄木の歌碑からほど近く、
盛岡出身のこれまた有名人である新渡戸稲造博士の碑がありました。
啄木歌碑に比べるとかなりモダンな印象ですが、
緑豊かな周りのようすとしっくり馴染んでるなというのが印象的でありました。
「願わくはわれ 太平洋の橋とならん」
この言葉の方がもっと印象的ですけれど。
緑豊かと言いましたけれど、公園内の木々もなかなか立派なものでしたですね。
その中から2点ほど。
左側は中が大きく抉れていて、もはや「うろ」なんつうもの以上のような気がしますが、
なんとも健気に大きな枝をめぐらしています。
右側は文句なしに、「ほぉ~、立派な!」という枝垂れ桂の木であります。
そうそう山裾の方ですのでうっかり忘れそうですが、またまた有名人の碑をもうひとつ。
今度は宮沢賢治 でありますよ。
有名人関係の碑が点在する中で、こちらも有名なのかもですが存知あげない俳人の碑が。
宮野小提灯という高浜虚子のお弟子さんということです。
ここに刻まれた「月待つや 独り古城の松のもと」という句。
なんとはなし、啄木の歌に通う心を感じるような気がしたのですが、
それこそ盛岡城跡にあるという、その場の心持ちのせいだったのでしょうか。
当日は午後から晴れで、そうしたときならば岩手山の遠望もきいたようなんですが、
静かに思索をめぐらすのにうってつけの場所だなぁと思ったのでありました。
ところで、そんな場所の片隅で何やら戦隊ものと思しき撮影をやってましたですよ。
そんなふうにも使われるのですねえ…。







