タイトルからして「永遠の女性美」てなことを書き出しますと、

アンチ・エイジングとかコスメとか美白とかダイエットとかグルコサミンとかすっぽんパワーとか…

あっと最後の方は関係ないですが、とまれそんなことのステルス・マーケティングかと

思われてしまうかもですねえ。


でも、そういった類いとはまったく違うのでして、

赤坂のニューオータニ美術館で「ヨーロッパ絵画に見る 永遠の女性美」展を見てきた、

というまあそういう次第でありますよ。


「ヨーロッパ絵画に見る 永遠の女性美」展@ニューオータニ美術館


ところで「永遠の女性美」なるものをヨーロッパ絵画に見ると言いますと、

「こりゃあもしかして、裸婦像がいっぱい?!」と思ったりするところですけれど、

(ちなみに個人的にはそれを期待していたという意味ではありませんので、あしからず…)

女性の全身像が強調されるというよりは、バストアップショット的な肖像画が中心でありました。


そして、超有名どころの作家作品が並ぶというわけではなかったものですから、

ビッグネームか否かということでなく、もっぱら作品と相対するという感じ。

そこで思うのは、かつて肖像画といえば「要するに似顔絵で、それも知らない人たちの…」つうふうに

受け止めていたわけですが、見ようによっては面白さのある肖像画ということになりましょうか。


ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリー なんかは正しくそうした印象の美術館ですし、

今回の展示でもイギリス画家の作品には、絵画史では埋もれがちながら肖像画の伝統には

一日の長ありだなと思ったりもしたものなのですね

そうしたイギリス画家の一枚がこちらです。


ジョン・ウィリアム・ゴッドワード「古典的美しい女」


ジョン・ウィリアム・ゴッドワードの「古典的美しい女」(1889年頃)。

なんとも身も蓋もないタイトルですけれど、

作者ゴッドワードはアルマ=タデマの弟子と知って「なるほど!」と思うわざとらしい神話っぽさ。


この辺りのありようはイギリス人好みだったのでしょうね、

結構アカデミー側もラファエル前派 側も一見どう違うの?といったふうもありますし。


ところで、いわゆる肖像画とは言えないものの、この展覧会から去りがたいと思ってしまった一枚が

ジョージ・エルガー・ヒックスの「孤児」(1884年)という作品でありました。


ジョージ・エルガー・ヒックス「孤児」


入場時にもらった作品リスト(画像付きというのは、素晴らしいですねえ)からスキャンすると

こんなふうになってしまうのが残念ですけれど、これは目をとめることしばし。


タイトルが「孤児」ですから貧しい境遇であろうとは想像されるところですが、

そういう境遇なればこそでしょうか、姉?に抱かれて頬寄せる少女の横顔に見える

安心しきったようすが、ぐおっと見る側の感情を高ぶらせるのですね。


さらにはそれを見守る姉が妹に注ぐまなざしに柔らかさ、

そして抱き寄せる左手の力強さ、支える右手のやさしさ。

足の組みようを見ても決して楽な体勢ではなかろうけれど、

おそらくは妹がいちばん落ち着ける姿勢をキープしてやってるんだなぁって思えてくるんですね。


と、ひとしきり勝手に盛り上がりましたが、最後に西洋絵画の基本的女性美のモデルを。

聖母マリアでありますね。


定型パターンはあるものの、描かれ方はさまざま。

そんな中でムリリョの一枚、「悲しみの聖母」であります。


ムリリョ「悲しみの聖母」


子供を描くのに秀でたムリリョらしい少女のような聖母マリアでして、

それが反って無原罪性を思わせたりするところなのかもしれないなぁと。


中世以降の基本的なマリア像(ラファエロなんかでも似たところはありますが)では

とかく崇高さに力点が置かれると人間らしさからいささか離れる傾向がありますけれど、

ムリリョはといえば、ともすると漫画的と言っては失礼かもですが、実に人間っぽい。

でも、そこで宗教的要請を満たすには自ずと少女の無垢さに頼ることにもなろうかと

思ったりもするところです。


ということで、展覧会のタイトルほどに「女性美」を意識するものではなかったものの、

いつもながら山椒は小粒的な内容のニューオータニ美術館 なのでありました。

ちなみに、今回の展示作品の多くは山形県は山寺の後藤美術館の所蔵作品とか。

いつかまた、ここにも行ってみなくては!ですねえ。