宗教改革時代に新興の新教勢力のために守勢に立たされた旧教の陣営で、もっとも精力的に対抗しようとして、民衆に積極的なはたらきかけをおこなったのはイエズス会であった。この教団は、教会の説教壇からばかりでなく、学校教育と演劇を通じて熱心に教化活動をおこなった。

これは先に読んだ「ウィリアム・テル 伝説」の中の一節でありまして、

イエズス会の手に掛かると「テルを中心にすえたスイス建国史の劇」までも

「旧教の教義をプロパガンダする活動の一環として利用」されてしまったりしたようです。


こうしたイエズス会がらみで上演された芝居の中に、
ハプスブルク家 の女性陣、例えばマリア・テレジアやマリー・アントワネット、
そしてフランツ・ヨーゼフ帝 の皇后エリーザベト などに深い感銘を与えた戯曲があるというのですね。


このことはWikipediaでも「要出典」と付記されていますのでそのまま鵜呑みにはできないものの、
その戯曲のタイトルは気丈な貴婦人」というもので、そのモデルとされる女性というのがなんと!

細川ガラシャとなれば、俄然興味も出てくるというものではないでしょうか。

それにしてもハプスブルク家と日本の戦国時代の女性に繋がる要素があろうとは…。


繋がりの糸口はやはりイエズス会ということでしょう。
細川ガラシャ(1563-1600)が生きた時代はイエズス会、

次いでフランシスコ会が日本への布教を展開していた時期。


こうした時に大名夫人であって洗礼を受けた者の最期はイエズス会の手で記録され、
巡り巡るうちに殉教の側面が強調されて、1698年に日本を遠く離れたヨーロッパで芝居になって

上演されるということになったのではないかと。


…と言ってはみたものの、細川ガラシャのことをどれほど知っているかというと、
明智光秀の娘で細川忠興に嫁ぎ、キリスト者となった…ことくらい。


となれば、例によってちと探究というわけですが、
ここは作者自身クリスチャンである三浦綾子さんの小説「細川ガラシャ夫人」を読んでみたのでありました。


細川ガラシャ夫人〈上巻〉 (新潮文庫)/三浦 綾子 細川ガラシャ夫人〈下巻〉 (新潮文庫)/三浦 綾子

生涯が短いだけに前半部分は父・明智光秀の話がもっぱらなのですけれど、
ともすると
信長 に弓引いた逆臣とのイメージばかりになってしまう光秀が
ここではとってもいい人なのですね。いい夫であり、いい父親でもある。


そうは言っても戦国武将ですから、築城術にも秀でた合戦巧者との面も持ち合わせているわけです。

ただし、天下人たらんとするある種のエキセントリックさは欠いた常識人であったというべきかもしれませんが。


とまれ、そんな良き父の愛情たっぷりに育った珠(玉、玉子、珠子とも)は
誰もが目を留める器量良しの上に、利発で聡明な娘であったそうな。


それが例え相手が父の盟友である細川藤孝の長子とはいえやはり政略の道具としての輿入れへの疑問、
戦ばかりが続く疑問、後に逆臣の娘であることへの処遇や夫の読めない心への疑問…そうしたものが
珠の心の内に降り積もり折り重なっていくのですね。


それに対して、側で仕えた清原マリアの何事にも揺るぎない姿、

伝え聞く高山右近の闊達な語り口等などからいつしか天主の教えに関心を寄せるようになっていくわけです。


そして、すでに天下人となっていた秀吉が発した「信仰を捨てねば、領地召し上げ」との命に
毅然として信仰に生きる決意を表した高山右近に対する驚きと興味が湧き起こります。

「領地召し上げは戦国大名としての全てを失うこととして、父は信長様に弓引いたのではなかったか」と。


やがて、洗礼を受けガラシャとなった珠はもはや何に動ずることもなく
「神の思し召し」のままに生きていくのですね。


そして関が原の合戦前夜の情勢不穏な時期、
徳川家康に従って会津の上杉攻めに多くの大名が付き従った折、
それら大名の細君を人質として拉致し、来るべき決戦を有利に進めようとした石田三成の軍勢に対して
質に取られることを潔しとせず家臣をして己が命を絶たせしめた細川ガラシャ。


国内でもこのことが広く伝えられる中で、ただでさえ不人気の三成は評判がた落ちとなって、
結果関が原の動向にも影響したのではないかという話もあるらしいですが、西洋に渡っては

どうやら我が身の死を賭しても横暴な夫を諌めた「気丈な貴婦人」ということになっていったようです。

なんだかレディー・ゴダイヴァ を思わせるふうでもありますが…。