難波田史男 作品を見て宇宙のあれこれに思いを馳せたりしますと、
以前ちょっと触れたような時間との関わり ということに行き着きますですね。


そのときに書きましたけれど、そもそも「宇宙」という言葉自体が、
本来「空間と時間」を表しているというのですから、空間と時間を包括したものが宇宙なのでしょう。


ただ「空間」の方は知覚できる「実在」があるように思いますけれど、
「時間」というは感覚的なもので人間が便宜的に与えている「概念」でしかないようにも思われます。


ですから、オーストリアの物理学者エルンスト・マッハ(1838-1916)が言ったことには

「そうだよなぁ…」と思えてしまうところでして、マッハはこんなことを言ったのだそうですよ。

時間は時計で測るが、世の中にあるあらゆる時計がなくなったとしたら、時間は流れるだろうか。
もちろん、時間は時計の存在に関係なく流れるに決まっている。それでは、時計だけでなく宇宙の中のあらゆる物質がなくなったとしたら、どうだろうか。からっぽの宇宙には、何の変化も起こらない。何かが変化するからこそ、時間の流れがわかるのだから、からっぽの宇宙には時間が流れないと考えることもできる。

この場合、漢字でもって「宇宙」と言ってしまうと

本来的に空間と時間を併せたものの意となって矛盾をはらんでしまいますが、

英語で言うところの「Space」(マッハは当然ドイツ語で言ったかもですが)には
およそ「時間」の要素は含んでなさそうなので、もっぱらそういう意味で捉えたらいいのでしょうね。


ようするに何も変化(するもの)が無ければ、時間は流れない。
時間を意識する必要が無いと言えるかもしれませんが、「意識」をするしないが出てくると、
変化するものの有無だけでなくて、観察者の有無まで関係してきますけれど、
そうであれば尚のこと、ほっといてもそこにあるものというより

観察者たる人間が考えたものてな気がしないでもない。


とまあ勝手な想像を巡らすわけですが、先のマッハの言葉も紹介されていた一冊の本、
「どうして時間は『流れる』のか」を読んでみたのでありますよ。


どうして時間は「流れる」のか (PHP新書)/二間瀬敏史


ブルーバックスでもなんでもない普通の新書であるだけに
ごくごく一般的な(特段の理系知識を持たない)読者をも意識して、

理論物理学者である著者が極力やさしく伝えようと相当に努力されたのだなということが

よく分かる本だと思われます。


が、これは個人的な知識レベルの問題でもありましょうけれど、
同じ個所を再読三読してその時は分かったつもりでも、

読み進むうちに分かったであろう部分の話を進める箇所にくると全くの混沌に陥ったりしてしまったという。
もはや柔らか頭でない頃合だけに、こうしたことを考えるのには無理があるのかしらむ。


と、そんなことばかり言っていてもお話になりませんので、
時間が流れる理屈のほんの一端を理解の及ぶ範囲で触れてみますと、
やはり現象(変化)を見てということになりますですね。


「時間」なるものの大きな特徴は、逆戻りしないこと、
過去から未来への一方通行だということでしょうか。
目に見えるものでもないのに恰も川の水のように「流れる」という修辞するのもここに理由があるわけですよね。


ここで本書に紹介された、熱力学の入口にあたるような熱の移動に触れたところからちと引用してみます。

熱の移動を伴う現象は現象は、一般には元に戻らない、非可逆現象です。
…熱いお湯を放っておくと冷めていき、ついにはまわりの温度と同じになってしまいます。熱がお湯からまわりの容器へ、そして空気へと伝わってしまうからです。これとは逆に、水が自分より温度の低い周囲の空気から熱を奪って熱湯になることはありえません。水が高いところから低いところへ流れるように、熱はいつも温度の高いところから低いところへ流れます。その逆に、温度の低いところから高いところへ熱が自然に運ばれることは、けっしてないのです。

この不可逆的な変化がある背景には「時間がある」、

そして「一方向に流れている」ということになるものと思いますけれど、なかなかにピンとこない…。

どうしても「時間」を、哲学的というか文学的というか、

要するに文系頭的な理解から抜けないところでつかまえようとするからかもしれません。


本書では、エントロピー増大の法則やら「動いている時計を止まっている人が見ると、ゆっくり進む」という
時間の相対化、つまりは特殊相対性理論、果ては一般相対性理論、

ちと飛躍してタイムマシンの理論的可能性にまで話が及ぶのですが、

「ほぉ~」と思うことはあってもここに何かを記すのは個人的力量を超えているような…。

難しい…といってしまえばそれまでなんですけどね。


ところで、時計のひとつとして取り上げられた「体内時計」の部分に「へえ~」と思うことがありましたので、
ちと引用を。読む限りでは「体内時計」というより「時限爆弾」ぽいですが。

心臓が1回打つ間に体内で使われるエネルギーは、どの動物でも1キログラム当たり1ジュールで同じです。ジュールとはエネルギーの単位で、1グラムの水の温度を1度上げるのに必要なエネルギーは4.18ジュールに当たります。そして、どの動物も、1キログラム当たり15億ジュールを使えば寿命がくるのです。つまりヒトもネズミもゾウも、一生で使うエネルギーは、体重当たりにすれば同じになるということです。

これはある意味、心臓という臓器の寿命と言えるのかもですね。
人の寿命にはいろんな可能性が影響を及ぼすでしょうけれど、

そうしたことなしにこれまた理論的にはこうなるという。
そして、こうも書かれています。

一般に動物は、体が大きいほど長生きをします。また、体が大きいほど心臓の鼓動は遅く、周期が長くなります。例えばヒトの心臓はだいたい1秒に1回鼓動しますが、ハツカネズミの心臓は0.1秒に1回、ゾウの心臓は3秒に1回鼓動します。動物はその種類によらず、1呼吸する間に心臓は4.5回打ち、心臓が約15億回打てば寿命になることがわかっているそうです。

おお、体が大きいほど長生き。

されど、それは体が大きい場合は心拍がゆっくりだということが前提になってる。
すると、ヒトとしての心拍の速度が一般的だとして、普通の方よりもでっぷり系だとすると…。
あんまり理論的でない想像はほどほどにしておいた方がよさそうですね。