先に弥生美術館
から東大博物館の小石川分館へとてくてく歩いて行ったと言いましたけれど、
このときはさらに小石川から茗荷谷を下って、小日向へ登り返しまた下って護国寺に至るという
「俄か墓まいらー
」らしい行動に出たのでありました。
その道々で行き当たった何かしらを、例によって落穂拾い的に記しておくといたします。
まずは弥生美術館に赴くにあたってですけれど、美術館の名前になっている「弥生」は町名でありまして、
そしてこの弥生町で発見された土器に「弥生式土器」という名前が付けられたのでありますね。
よもや東京の町名とは?!と思いますけれど、実際このような碑が立っているのですよ。
そうそう、弥生美術館は東大のそばと言いましたけれど、
有名赤門や正門といった表玄関とは別に裏門的に弥生門というのがありました。
ちと洒落てるので載せてみます。
さて、弥生町から小石川へ向かう際の裏道沿い、円乗寺というお寺には八百屋お七の墓所が。
井原西鶴の「好色五人女」などにも描かれるお七でありますけれど、
鼠小僧ではありませんがやっぱり実在の人物だったのでありますねえ。
この後に例の異形の展覧会
を見たわけですが、
そこから程なくの茗荷谷駅に近い窪町東公園にもこんなものが。
カイザースラウテルン広場と名付けられた空間に、「神話空間への招待」というオブジェが点々。
なんでも文京区はドイツのカイザースラウテルン市と姉妹都市だそうで、
同市の彫刻家に依頼して作ったものなのだとか。
右側はユニコーン、左側はカイザースラウテルン市の紋章にもある魚だそうです。
茗荷谷駅近くでは地下鉄のくせに(?)東京メトロ丸の内線が地上を走ってますが、
これを横切ってしばし、林泉寺というお寺さんでは「しばられ地蔵」が見られます。こんな具合。
いやはやものの見事に縛られてます、顔がほんのすこし見えるだけですから。
元は大岡越前守の「大岡政談」にお地蔵さんを縄でひっくくる話があるようですけれど、
願をかけつつ縄をしばり、叶ったらほどくということなんですが、
見る限りどうも叶わぬ願いばかりのようで…。
この林泉寺のすぐ先にあるのが深光寺で、ちょっと前に読んだ「南総里見八犬伝 」の著者である
滝沢馬琴 と執筆を手伝った路女の菩提寺であります。
そこから蛙坂を登りつめてしばらく進みますと、こんな石碑に出くわすのですね。
「切支丹屋敷跡」と書かれています。
切支丹屋敷といいますのは、切支丹宗門改めの任にあった井上筑後守の下屋敷であったからだそうで、
屋敷内の牢で改宗を迫った(つまりは拷問…)ことから、この名があるようです。
今ではすっかり閑静な住宅街ながら、ちょっと前にペドロ岐部 の話を読んだりもしましたから、
反って何もない平穏な様子に戸惑う気がするところではありますね。
と、高台だったあたりから今度はまた下りにかかりますが、
「鼠坂」と呼ばれる坂を急降下で下ります。
森鴎外 は、小説の中でこの坂のことをこんなふうに書いているのだとか。
小日向から音羽へ降りる鼠坂と云ふ坂がある。鼠でなくては上がり降りができないと云ふ意味で附けたさうだ・・・人力車に乗って降りられないのはもちろん、空車にして挽かせて降りることも出来ない。車を降りて徒歩で降りることさへ、雨上がりなんぞにはむづかしい・・・
その鼠坂を下りきって振り返ると、こんなふうなんですが実際は見た目よりももっと大変でありました。
そんな鼠坂を下りきって右手に折れ、
崖線に添うようにしばぁらく進んでいきますと不忍通りにぶつかりまして、
通りの向こう側が護国寺であります。
思いのほか大層なお寺さんでびっくりしたのも束の間、
いかにも「俄か墓まいらー」の準備の悪さ、
いろいろ肖りたいような人のお墓がいずこにあるかがとんと見当がつかないのですね。
せめてジョサイア・コンドル の墓所だけでも参っておきたいところだったですが、
ここには改めて機を見て再訪をもくろむしかないかと。
と、いささかしまりがよろしくないですが、こたびもいろいろなもので出くわすことができました。








