奈良の町に関して思ったこと を記したりしたものの、いっかな訪ねた先のことを書き出さない。
これにはいささか理由があるのでありまして…。


奈良へ出かける前に予習(?)で読んだのが「斑鳩王の慟哭 」ならば、
旅の友として持ち歩きつつ頁を繰ったのが亀井勝一郎さんの「大和古寺風物誌」なのですね。


大和古寺風物誌 (新潮文庫)/亀井 勝一郎


古典的名著のように言われて久しいにしても、
昭和18年の初版刊行とそれほどまでに古い書物だとは思っても見なかったのですが、
書かれていることに唸りを禁じえず、しかも得心のいくところでもあったわけです。


個人的には著者が感じたことと全く同じことを考えていたわけではなく、
言われてみれば「実はそう思っていたんだ」ということでもないながら、
読んでみれば「確かにそうしたことも関係しているのかもしれない…」という程度ですが。


奈良に行って何をするかといえば、古刹を訪ね歩くということになるのでして、
ではさらに古刹を訪ねてどうするのかといえば、

「よくまあこれだけ古くて大きな建物が残っているよな」と関心する観光的側面とか、
御堂に祀られた仏像などを仏教芸術の作品として有難く鑑賞するという教養的側面とかに

ポイントを置いているのかもしれないなと思うわけです。


さりながら、仏像を美術品として見ることの違和感を指摘され、一旦それに気付いてしまうと、
去年だったか三井記念美術館で「奈良の古寺と仏像」展 を見たときのような書き方で

感想を記したりすることができなくなるような。


仏像は祈りの対象であって、そもそもその仏像が作られた背景、

さらに大きく行けばその寺そのものが建てられた背景を思えば、
伽藍を見物に行くとか仏像を見に行くとかいう行為からして

「違うのかも、いや確かに違う」てな気がしてくるのですね。


ただ、仏像が御堂に祀られ、それを眺めやることは、

仏像そのものと置かれている場所の相乗効果で美術的な目のみならず、

何かしらの思いが去来することはあるわけですが、

例えば法隆寺の大宝蔵院が良い例であるようにあたかも美術館の館内同様に

陳列されている作品を見る形をお寺さんの側が提示しているとなると、
混乱の極みに達したりするわけです。


おそまきながら、亀井さんの著書から引用してみることにします。

百済観音のみならず、ガラスのケースの中にも多くの古仏は並べられ、造花が添えられ、崇められているようにみえるが、また見世物式であることも否定できない。寺僧は必ずや、これら御仏の前に礼拝するだろう。心から保存を念じれいるかもしれぬ。礼拝しつつ、だが一方では、古仏を美術品として鑑賞に来る「教養ある人々」のもったいぶった顔にながし眼を使っているのだろう。これは私の邪推だろうか。

なにしろ太平洋戦争中に初版発行された本でありますから、
記述内容をそのまま現状には当てはめられないところもあろうかと思いますけれど、
基本的に仏像の見せ方(言い方によっては保存の故となりましょうけれど)は変わっていないのではないかと。


こたび訪れた大宝蔵院でも「百済観音像」はガラス・ケースの中にあって

いかにも鑑賞される対象であるかのように置かれていましたけれど、
もともと何のために作られたのかという伝承は無いにせよ、

その実に伸びやかな姿を見せる背景には何かしらの「祈り」が確実にあったわけですが、

先の亀井さんの指摘に接するまでは「仏像は何かを祈願せんがために作られる」

つまり芸術作品として鑑賞される前提で作られてたものではない…
そんなことにすら気が回らなかったのですね。


それを敢えて芸術作品として見た場合、さすがに「百済観音像」クラスになると、
本来「祈りの対象」であることを超えて、さらに普遍的な「美」というのか、
見る側が勝手に抱くのかもしれませんけれど、何かしらの感懐をもたらさずにはおかないところがありますね。


翻ってみれば、本来宗教的なものを宗教から離れて見ることの是非は、
キリスト教会で見るあれこれを思えば、何も仏教に関連するものに限らないとも思われます。


さりながら、日本人としての身近な習俗に大きな影響を与えてきた仏教なればこそ、
そう簡単には客観視できないのだろうと思いますし、亀井さんの言っているのもその辺なのかなと。


この辺りの整理のためには、たとえ本来あったところに置かれなくなった仏像であっても、
歴史的な謂われを知ることによって、仏像の本来と展示のなされようのギャップをいささかなりとも
埋められるような気がしないでもありません。


それだけに、奈良を訪れることが古寺に詣で仏像に接することと切り離せない行動であるなら、
もっともっと予備知識を蓄えて訪れるべきだったのやも知れぬ…と個人的には思うのでありました。