先日来携わっておりました内輪の出来ごとの事後処理めいたこともひと段落いたしました。

儀式らしきことに接するに及び、またまた思うところはあれこれありますけれど、

それは追々時機を見て触れると致しまして、さも何事もなかったかのように、

弊店「Chain reaction of curiosity」は営業を再開致して、

皆さまのおこしをお待ちする次第でございます。




先ごろ読んだ「悪魔はすぐそこに 」にこんな一節があったのですね。

あの委員会ときたら、ジェームズ・ボンドの映画のようだったからな。

『読後ただちに焼却すべし』―まったく、ばかげたことをしていたものだ。

007 」がお好きな方なら「おや?」と思われるのではないでしょうか。


「悪魔はすぐそこに」の出版は1966年ですから、
1962年にショーン・コネリーの主演で始まったボンド映画に言及されていてもおかしなことはありません。


それに「読後ただちに焼却すべし」を機密書類の類いとして考えれば、

スパイ映画にこれが出てきても何もおかしくない。


とはいえ(「悪魔はすぐそこに」の原文を見ないとはっきりとは言えないものの)、

「読後ただちに焼却すべし」という言葉は、イアン・フレミング原作のボンドもの短編の

邦訳版の題名「読後焼却すべし」を意識してるとしか思われないのですね。
この短編の原題は「For your eyes only」であります。


もうお分かりとは思いますが、

確かに「007/ユア・アイズ・オンリー」というボンド映画はありましたけれど、
これは
ロジャー・ムーア の主演した1981年制作の映画なのですね。


つうことはですよ、D.M.ディヴァインが「悪魔はすぐそこに」を書いた1966年には
イアン・フレミングの短編「For your eyes only」はあったけれど映画化はされていないのでして、
文中でボンド映画と「読後焼却すべし」が繋がってくる点に「おや?」と思ったというわけです。


でもって、ついでに気がついたことですけれど、原作が短編ながら、

映画としては2時間超の作品になっていますからどんな具合に作りこまれたのかを
この際見ておこうと思ったのでありますよ。
まずは、原作短編を読み、そして映画を見てみるということで。


「読後焼却すべし」所載「007/薔薇と拳銃」(創元推理文庫)/イアン フレミング ユア・アイズ・オンリー (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]/ロジャー・ムーア,ジュリアン・グローヴァー,キャロル・ブーケ


早速にその結果ですが、

ボンド映画が原作に忠実とか言う路線を端から持ってないことは知りつつも、
「こうなりますか?!」と改めて思うところでありました。


まず、舞台設定はといえば、
原作がジャマイカ、ロンドン(これは一瞬)、そしてアメリカ・カナダ国境あたりの山中の湖畔のみながら、
映画はアルバニア沖、ロンドン(やはり一瞬)、マドリッド近郊、コルティナ・ダンペッツォ、コルフ島、

そしてギリシアのメテオラといつも通りにあちこち連れていってくれてます。


ですが、このうち原作との関わりがあるのはマドリッド近郊の部分までで
それから後は全くのオリジナル・ストーリーと言ってよさそうなのですね。


つまり原作に相当する部分は(最初のお遊び系シークエンスを入れても)

映画の中では最初の30分で終わってしまい、あとは自由に展開した大冒険であったと。


理不尽な理由で殺害されてしまったハヴロック夫妻。
英国諜報部のMにとって旧知の仲であったハヴロック夫妻の敵討ちは言わば私怨であって、
惑いながらもボンドに犯人暗殺を(命令でなく)することになります。


大きく考えて英国への脅威であると受け止めることで、いわゆる私刑を承諾したボンド。

そしてボンドに渡された犯人に関するファイルに「For your eys only」と記されていたことが、

この話のタイトルなわけですけれど、Mも私怨により依頼であることを重々承知しているがために、
「くれぐれも、この書類はお前の目以外には触れさせるなよ」というのが意図でありましょう。


いつもの諜報活動の秘密ファイルとは赴きが異なるからこそタイトルにもなるところですが、
これを映画のようにいつもの秘密ファイルにしてしまっては、

どの映画も「For your eyes only」になってしまうように思われないでもない。


もっとも映画では「For your eyes only」と記された帯封付きの書類に

ボンドが目をやったときに流れる音楽が、アクセントの利いたものになってはいますけれど。

そして、最後の最後、例によってボンドとヒロインの艶っぽい場面ではまた
「For your eyes only」と囁かれるのですけれどね(ま、これもこの映画だけの話じゃないか…)


ともあれ、ハヴロック夫妻殺害犯ゴンザレス(原作ではゴンザレスとその黒幕ハマースタイン)の

暗殺に赴いた先で出くわすのがボウガン(原作では弓矢)でゴンザレスを狙うひとりの女性。


映画では、いかにも両親を殺されて静かに復讐の炎を燃やす一人娘メリサ役に

キャロル・ブーケがぴたりと来る感じでありました。
これまた映画の中ではエレクトラから連なるギリシア人の血が流れていると言ってましたが、
原作の娘というのはジャマイカのプランテーション育ちのイギリス人で名前もジュディとなってます。


でもって、映画ではゴンザレスがプールに、原作ではハマースタインが湖に飛び込む一瞬を狙って、
矢が放たれる点は極めて類似しているのですけれど、

原作はこののちボンドも交えた銃撃戦を制し二人で逃げ延びて終了。
ところが、映画ではこれからが本番みたいなふうに進んでいくのでありました。


それにしても、改めて余りの違いを思い知った感があります。
これだけ自由な脚本だったら、書いていて楽しいだろうなぁと。
実際、その印象に違わぬ娯楽映画に仕上がってるとは思いますし。

そもそもボンドものが30分で終わるというのはあんまりピンと来ないのも事実ですが…。


そうはいっても、フレミングの原作も捨てたものではないのでして、
ひとつの例としてはボンドとジュディが出くわす瞬間でしょうか。


両親の敵討ちのため、ひとり山中に踏み込んでアジトを狙い撃ちしようというジュディには
周り中が敵と思える状況でボンドと遭遇するのですから、端から相手を疑ってかかり、
なまなか打ち解けようとはしない状況が描かれています。


この点、映画の中では先に銃撃戦が始まってから出くわして、
やおら二人手を携えて逃亡に及び、逃げる車の中で自己紹介してるのには戸惑ってしまいましたですよ。


何度も見ている映画で気にも留めてなかったシーンだったりしますけれど、
こたびはなかなか新鮮な感じで見ることができたかなと。
何事も複眼的に見てみれば愉しさもひとしおということになりましょうかね。