世界を巡る旅の空想 ではつい先日、

マルセイユからコート・ダジュールを廻ってみてわけですけれど、
今、三鷹市美術ギャラリーでグランヴィルとの二人展が開催されている

オノレ・ドーミエがマルセイユ出身だったようで。


ということで、「ドーミエとグランヴィル」展を見てきたというお話であります。


ドーミエとグランヴィル展@三鷹市美術ギャラリー


J.J.グランヴィル(1803-1847)とオノレ・ドーミエ(1808-1879)は諷刺画で有名でありますけれど、

シャルル・フィリポンが主宰した「ラ・カリカトゥール」や「ル・シャリヴァリ」といった

諷刺新聞を専ら発表の場にしていたという点では同僚と言ってもよいのやもしれません。


1830年のフランスは七月革命の後に誕生した

ルイ・フィリップによる七月王政下で健筆ならぬ絵筆を揮ったわけですね。


ナポレオン後のブルボン朝復古王政では、
大革命によって生じた新たな時代の潮流にともかくも反動的な政治が行われたことで、
不満、鬱憤が七月革命で爆発するわけですけれど、結局のところ

担ぎ出されたオルレアン公ルイ・フィリップが王様になる点ではやっぱり王政なわけです。


とはいえ革命を経ての王政ではありますから、

最初の頃は出版の自由を保障し検閲もしないとしてはいたものの、
どうも権力を握ると守りに入るせいか、公約も粉飾状態となっていくとなれば、
ルイ・フィリップ王とそれを取り巻いて政治の実権を握る人たちが格好の諷刺対象になるという。

さればこそ、グランヴィルもドーミエも大いに活躍できたというのは皮肉な気がしますが。


それにしても、カリカチュアライズするのに都合が良いといいますか何と言いますか、
ルイ・フィリップの頭の形が洋ナシにそっくりであったとか。
そして、洋ナシを表すフランス語poireは「まぬけ」の意もあったそうな。


直接的に王様の似顔絵を書くのはさすがに不敬であったにせよ、
頭が洋ナシの形をした人物が出てくれば、誰もがルイ・フィリップと分かるというのに、
これを摘発しては「王が洋ナシ=まぬけ」と認めたようなもので、
当のご本人はさぞ地団駄踏んだことでありましょう。


オノレ・ドーミエ「悪夢」(同展フライヤーより)

このドーミエの「悪夢」なる作品、どうぞご覧くださいまし。

長椅子に横たわるラファイエット将軍にのしかかるぼってりした洋ナシ!

王様には担ぎ出したものの、将軍にももはや重荷でしかないルイ・フィリップ。

頭の形どころか、身体全体を洋ナシにしてしまってますよ。


そんなふうですから発行人ともども投獄の憂き目にはあいもし、
結局のところ思い余った政府としても1835年に検閲法を復活させたりするのですが。


そのせいでドーミエは風俗諷刺へと転じていき、

1848年の二月革命後に政治諷刺を再開するものの、
1852年にナポレオン三世の第二帝政となると弾圧もあったでしょう、また風俗諷刺に戻っていきます。


長生きはしたものの、一番の華があった時代はルイ・フィリップとの対決の日々だったのですかね。
どうも後の作品というのは精彩を欠いているようにも思えてならないのですよ。


ドーミエが長きに渡って基本的に諷刺画家ひと筋とも言えるのに対して、
グランヴィルの方はさほど長い生涯ではないながら、
挿絵に転じて独自の世界を拓いたのがなんとも対照的なような。


しかも単なる挿絵というのでなく、グランヴィルの絵に文が付けられる、
つまりは先に挿絵ありきという本が出版されるようにもなるという。
(こうなると、挿絵とは言いませんね、きっと)


そんなふうに自立性のある絵を描いたグランヴィルの作品は
「擬人化された無機物や不条理な世界観」を表出して

ルイス・キャロル などにも影響を与えたそうですが、

「トランプの戦争」という作品など「まさに!」でありますね。


また、後のシュルレアリスム 作家から高い評価を得たというのも
「二つの夢-罪と償い」あたりを見れば、むべなるかなではないでしょうか。


グランヴィル「二つの夢-罪と償い」(同展フライヤーより)


ルイ・フィリップを目の敵といった形で健筆を揮った二人ではありますが、

その後のありようは結構違うのかなぁと。

一概にどちらがどうとは言えませんけれど…。