アーサー王伝説探究 の続きであります。
英国はプランタジネット朝の創始者ヘンリー2世が

アーサー王伝説を政策的に利用したところまできました。


その後の展開は、むしろ王朝交代のような激動の歴史から離れて、

文学としての成り立ちのようなところになってくるのですね。


その昔のイギリスでは支配層の言葉はアングロ・ノルマン語(ざっくり言ってしまうとフランス語)、
被支配層の言葉がまあこれもざっくり言ってしまえば英語というわけで、
アーサー王伝説の文学化は当初はフランス語によって成されたといいます。


が、そこは大ブリテン島にこそアーサー王の史跡と思しきものはあるわけですし、
フランス側よりもイギリス側にとっての方が「アーサーはおらがヒーロー」と意識されますから、
フランス側でだんだんと忘れられていく一方で、イギリスでは独自に広まりを見せたりするわけですね。


その際、ひとつの注目点が円卓なのでして、
アーサー王と言えば円卓の騎士という、あの円卓であります。


ついついアーサー「王」と言い習わしに従ってますけれど、
起源的には戦い巧者である勇者、つまり強い騎士であったそうな。


取り巻く騎士たちの中でアーサーは

ひときわ抜きん出ていたのやもしれないとしても、必ずしも王ではなかった。
その証しとも言えるのが、上座を決められない(どこが上座か分からない)円卓だというわけです。


ところが、伝説のひとり歩きはその後、
アーサーが単なる強い騎士ではなく「王」であることを語るようになっていくという。

誕生秘話から始まり、さまざまな冒険譚を織り込んた末にアーサー王の死を以て幕を閉じる

壮大な物語に発展するのだそうで。


エドワード・バーン=ジョーンズ「アヴァロン アーサー王の眠り」

そうした発展過程では、あたかもブラックホールのようにとは大袈裟ながら、

本来関わりのない伝承までを取り込んでいくのでして、
ひとつが聖杯(グラール)の話、そしてもうひとつが「トリスタンとイゾルデ」のお話だと。


元々がケルト系の伝承の中の人物であったアーサー王がキリスト教化の波を被ることで、
キリスト教的な話へと転化する、そこに聖杯が関係してくるのですね。


十字架から降ろされたイエスの体から流れる血を受けたとされる杯(聖杯)を
アリマタヤのヨセフがエルサレムからブリタニアの地に運んだのだというふうに伝えられて、

この聖杯探しを行う円卓の騎士の親分たるアーサー王は、

キリスト教徒だったのだと言いたいところなわけです。


後にこの「聖杯」に関する話がドイツでまたひとり歩きするようなのですね。
今回参考にした知の再発見双書「アーサー王伝説」によれば、わりなく進行している話で、こんな具合です。

画期的な作品は、1200年頃書かれたヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの「パルチヴァール」であった。…そこでは聖杯のテーマ体系は予期せぬ方向に発展し、なかでも政治的ユートピア建設の手段となっている。

聖杯の伝承は、アーサー王伝説と結びつく以外の経過も辿ってはいるようですが、
こうした流れの延長線上に、ワーグナー の「パルジファル」なんかもあるのでありましょう。


さて、もう一つの「トリスタンとイゾルデ」のお話の方も

今となってはワーグナーで有名ということになりますけれど、
両者と三角関係になるマルケ王はコーンウォールの領主ということですから、
アーサー王が大ブリテン島全体を統べるという設定になれば

マルケ王はアーサー王の傘下にあることとなりまして、
「トリスタンとイゾルデ」の物語を取り込むにあたってはトリスタンを円卓の騎士にしてしまったという。


Rogelio de Egusquiza「Tristan and Isolde」


てなことで、ひとり歩きにひとり歩きを重ね、

それはプロパガンダだったり文学的装飾の果てであったりするわけですが、
アーサー王伝説は後の文学、美術、音楽、そして映画などにも使われ、

また換骨奪胎される作品を生み出すインスピレーションの源ともなっているということでありますよ。


ただ、何故かしらシェイクスピア はアーサー王伝説がらみの話を作らなかったそうでありまして、

(これには異説もあるようですが)

こちらはこちらで妙に興味を引くところではないでしょうか。