身近なところでやおら入院という事態が持ち上がり、
少々大きめの病院に出向いておりました。
時節柄、待合室あたりの灯りを控えめにしていたりと、
節電協力は病院といえども心がけられているようです。
さりながら、集中治療室的な処置室にすぐ隣接する病室に行きますと、
至るところに電気機器が設置されているのですよね。
医療の現場も、間違いなく電気が供給されていることを前提に動いていると言えましょう。
そして、加療中の者にとっては、これらの機器に繋がる電気配線は文字通り生命線である場合が
数知れずあるのでしょう。
先に原発の話を思いつくままに書きましたときに、
「今回の大地震、原発事故の結果生じたことからの復興は、
大地震の起こる前(つまりは原発事故も起こる前)の状態に、
そっくりそのまま全く何事もなかったように戻すってことになると考えるのは
むしろ不自然なのではないか」と言いましたけれど、
こうした病院での電力に頼る医療の状況も同様かと言えば、
一律に考えるのはそれこそ不自然でありましょうね。
やはり以前、こうしたご時勢での電力消費は何が良くって、何が良くないのか…
てなことも書きましたけれど、電力使用のプライオリティーを考える必要があろうかと。
「実は原発推進反対だった」とか後だしじゃんけん的なことを言ったりもしてますが、
そのくせ原発からの供給も含めた電力を思いの丈享受してきた者がそんなことを言えるのか…。
ではありますけれど、今さらながらなのか、おそまきながらなのかともかくも、
今回の一連のことから気付くことがあったとは言わざるを得ないような。
先日、東京オペラシティ・アートギャラリーの企画展示で見たビデオ作品。
「ナイトバス」と題されて、夜行バスがあちこち、日本であったり海外であったり、
走っている運転席からの様子をビデオに撮ったものでしたけれど、
途中、バスがラスヴェガスの町に入っていくところがありました。
夜行バスですから、夜のラスヴェガスの町。
多くの人が想像できるように、光の洪水のようなところです。
以前であれば、その様子に旅ごころを刺激されたりする側面もあったかと思うのですけれど、
ついつい眉をひそめてしまう自分がそこにいたわけです。
後からニュースで聞いたところによれば、
米国にも100を超える原発があって、電力供給の助けとなっているのだとか。
このことは非常に分かりやすい構図というだけであって、
アメリカがどうのではなくって、日本も似たようなものでしょうし、
こうしたことにまで使うことを前提に電力が生み出されなくては
いけんのだろうかということなわけです。
職場近くの駅前周辺でも、相変わらず節電が続いています。
その中で、唯一昼間からネオンサインを付けている「テレクラ」がありました。
電力供給はこうしたことに使われるのを保証しなくちゃいけないんですかね。
(ラスヴェガスとテレクラを一緒にしては何ですが…)
ここで自分は…などと
おそらくはどこのご家庭でもやっておられる範囲と思しき節電の状況を
わざわざ披瀝するようなことはしませんけれど、
後に戻れないのは、この気付きなのではないかと思ったりするわけです。
では、そこんところに気付いたからには、何かしら具体的な行動ができるのか…。
すぐさま何ができるとは言えないものの、頭を捻ってみるだけの価値はありそうな気がしています。