バーン=ジョーンズ を「ラファエル前派 」に括ってしまうのは

どうも適切ではないという話でありましたけれど、パッと見の似ている感に加えて、

題材のとり方またしかりとあっては括られてしまっても無理ないかも…
という一面がありますね。


「ラファエル前派」はその名の通り、

ラファエロ 以前に立ち返るというところがありますから、自ずと中世に目が向くわけでして、

中世の絵画はもちろんのこと絵画以外でも中世大好きっぽいところがあるという。


そうしたところへ持ってきて、このグループはイギリスで出来たものですから、
当然(?)アーサー王伝説が大好きで、そこに絵の題材を求めることしばしであったのですね。


そして、バーン=ジョーンズがこれまた(昔からのようですが)アーサー王伝説に惹かれていて、
それを題材にたくさんの絵画やデザインを制作したわけですね。
「ラファエル前派」とは違うと言っても、その跡継ぎ的位置という点も含め、
やっぱり一緒になってしまいそう。


ところで、アーサー王とか円卓の騎士とか、はたまた名剣エクスカリバーとか、
伝説を構成するパーツ名は耳にしたことがあるものの、

全体像をちいとも知らないことに気が付きました。


例えば、バーン=ジョーンズの絵画作品「マーリンとヴィヴィアン(欺かれるマーリン)」(1870-74年)が
アーサー王伝説絡みの題材によるものだと聞いても「何のことやら?」と思ったり。


エドワード・バーン=ジョーンズ「マーリンとヴィヴィアン」


となれば、ここで「アーサー王伝説」を探究しておかねばなりますまい。
本当なら、バーン=ジョーンズや
ウィリアム・モリス が読んだであろう
トマス・マロリーの「アーサー王の死」に挑戦!といきたいところでありますけれど、
とりあえずはざっくり全体像をつかんでというのを目標(言い訳)に入門書を頼りにしたわけで。


アーサー王伝説 (「知の再発見」双書)/アンヌ ベルトゥロ


それにしても、伝言ゲームが口伝えを繰り返す中で

もはや原型を留めない情報に変容しまったりしますが、
どうも「アーサー王伝説」もさまざまな紆余曲折を経ることで、

いろんな尾ひれが付いたりしていった経緯があるようです。


歴史的なことから言いますと、

ローマの属州としてケルト系のブリトン人が住まっていた大ブリテン島に、 
5世紀頃ゲルマン系のサクソン人が侵入(そしてアングロ・サクソン人と呼ばれるようになる)しますけれど、
アーサー王の伝説は、この被支配層であるブリトン人の、つまりケルト系の言い伝えが元であると言います。


被支配層だけに、いつかは我々を解放する英雄が現れる!

といった伝説に頼りたくなるところがあるわけですね。


後に1066年のノルマン・コンクエストによって、

大ブリテン島の支配層はアングロ・ノルマン人になりますが、
この英国ノルマン朝の本拠はフランスのノルマンディー地方ですから、

支配者側は少数であって、元からいるブリトン人もサクソン人もなかなか言うことを聞かないという。


さらにノルマン朝が途絶えたゴタゴタの末に

ノルマン王家の血縁であったアンジュー伯(領地はフランス側)が

1154年にヘンリー2世としてプランタジネット朝を興すことになりますが、

ここでひとつアーサー王伝説は大きな転機を迎えるのですね。


ブリトン人が出現を信じた英雄、かつて自分たちのためにばったばったと敵を薙ぎ倒す活躍をした後、
今は一端隠遁しているものの必ず帰ってきてくれる英雄、それがアーサー王なわけですけれど、
ヘンリー2世はこの伝説を都合のいいように利用したのだとか。


「ブリトン人よ、アーサー王は帰ってこない。なぜなら、グラストンベリに墓が発見されたぞよ」
突然見つかったという墓にブリトン人はぶっ飛ぶわけですが、さらにヘンリー2世は
「ブリトン人よ、案ずるでない。我こそがアーサー王の末裔である」
というわけです。


ヘンリー2世はやおらフランスからやってきて王位についたものですから、
周りはブリトン人、サクソン人と敵だらけ。

両方を敵に回すくらいなら、ブリトン人は懐柔して、

共にサクソン人と相対しようというのですね。


一方、イギリス王でありながらアンジュー伯(つまりフランス王の封臣)であるヘンリー2世は、
フランス王との対抗上、何らか幅を利かせられるだけの権威が欲しかったわけで、
フランス王がカール大帝の末裔というならば、こっちはアーサー王の末裔だけんね!という。
 
元々が伝説、言い伝えですので、

そもそもアーサー王が存在したという確たる証拠もないのですが、墓を作ってしまうことで

「アーサー王は実在した。でも、言い伝えのよう戻っては来ない。そのかわり、
末裔のヘンリー2世がいるではないか!」というでっち上げをしたわけです。


なにしろ墓が見つかったとされるグラストンベリの修道院というのが、

大火で損壊していたところにヘンリー2世は多大な資金援助をしたのだそうで、

こうした金銭絡みの関係から、ヘンリー2世の望んだアーサー王の墓の発見(捏造?)に

修道院側がひと役買ったやにも見えるという。


さらに、かつてアーサー王が大活躍した物語「ブリュ物語」を作らせることによって、

かつて実在したことの傍証としようとも。


このあたりが、「アーサー王伝説」ひとり歩きの第一歩と言えましょうか。
ちと長くなってきましたので、その後の展開はまた後日ということで…。