♪幸せって何だっけ、何だっけ?ポン酢醤油のある家さ

というCMがありましたね、昔(いつも昔の話ばかりで…)。


その時は、単なるCMソングであるという意識しか無かったのですけれど、
もしかすると「ポン酢醤油のある家である幸せ」ってのも、人によってはあるのかもと思ったり。


最近の住宅のCMだったですかね。
いわゆるプラレールみたいのを大展開していても、

ちっとも邪魔にならないどころか余裕させ見せる広いリビング。
「あんな広い家に住めたら、幸せだろうねえ」と思わせる作戦なのかなと。


でも、でもですね。
それこそ「幸せって何だっけ」ですね。

広い家に住まって35年ローンを抱えることとは違う幸せってのもあるような気が…。
もちろんローンはともかく「我が家」である(実際には完済しないと、ですが)満足感なりが

幸せに繋がるという考え方はありますから、それをとやかく言うのでなくって、

要するに「幸せ」の感じ方は人それぞれだということですね。


つまりは、余所から「あんた、それで幸せなの?」と言うのは、

発言者が思う以上に重量級の言葉だろうと思うわけです。


とまた、前置きが非常に長くなっておりますけれど、
映画「しあわせの雨傘」を見て、つらつら考えてしまったりしたことでありますね。


映画「しあわせの雨傘」フライヤー


父が残した傘工場の経営を夫ロベール(ファブリス・ルキーニ)に任せて、

もっぱら専業主婦として生きてきたシュザンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)。
苦しくなった経営を何とかせんとするあまりロベールが従業員を酷使した結果、

組合が大規模ストライキを決行し、当のロベールは心臓発作で倒れてしまう。


組合との交渉の場に付くのは先代社長の娘であるシュザンヌしかない…となりますが、
そのときに「椅子に座ってればいいから」と言われる、
つまりは「どうせ何もできないんだから」と思われてるわけですね、シュザンヌは。


そうしたことのあたりで、
これまで家事をしたり、ジョギングしたり、ときには詩を作ったりしてきたシュザンヌの生活に対して、
「それで幸せなの?」という言葉が投げかけられるのですね。
シュザンヌの答えて曰く「それが幸せだって決めたの」と。


これ、重いですよね。
もしかしたら、幸せは別にあるかもしれない。
でも、今を幸せと決めてしまえば、本人にとっては幸せ以外の何ものでもないはず。


一面「諦めてる」とも言えますけれど、

別の見方をすれば「何と前向きな」と言えないこともない。


諦めとはネガティブな印象のある反面、事によっては「諦めが肝心」といったことがありますね。
そこのところの線引きをどの辺りにするかはまさに個人差であって、
他人がどう思おうと、引いた線にくよくよせずに割り切って「これが幸せと決めたんだ」ということも
ある意味で勇気のいる発言のようにも思えるわけです。


が、物語ではそのシュザンヌにやおら「社長業」のお鉢が回ってくるのでして、
「どうせ何もできないんだから」という周囲の思いに対して、
シュザンヌは「自分は飾り壷ではない(日本語的に言うなら、お飾りじゃない)!」と言うのですね。
映画の原題「POTICHE」は、まさにこの飾り壺を指しているわけです。


その後、シュザンヌの宥和的な政策が奏功して傘工場は持ち直すのですが、
病から回復したロベールが当然社長の座に返り咲けるものと思って現れるが…。


というふうに話は続くのですけれど、
女性が自立に目覚める1970年代の物語そのものといったその後の展開は、
先ほどのシュザンヌがある種勇気のいる発言に及んだこれまでの生活を

全否定しているようにも思われるのですね。


誤解はされないとは思うものの、

「女性は家庭におさまっておればよい」てなことを言いたいわけではありません。
ただ、「何をどう幸せと思うのか」は人によって異なるものであって、

これは良いけどあれは駄目とは言い難いのではないかと。
(「幸せ」は個人の考え方としても明らかに公序良俗に反するとかいうものは別ですが)


70年代当時の社会が「女性の自立」に向いていたとして、
それを幸せの線引きの物差しとして当てるかどうかも個人差があるでしょうし。
「こうでなくて幸せではないのだ」みたいなことを誰が言えるんだろうかと。


何だか同じことを何度も繰り返してる感がありますのでほどほどにしときますが、
この映画は、それまで会社経営なんつうことにちいとも携わったことのない者が

むしろ素人感覚を発揮したら、ことのほかうまくいってしまいました的なコメディとして見た方が

シンプルに楽しめた感でもって「良かったぁ」と終われるように思うのでありました。