昨年来、やれマフィア
だ、やれ「ゴッドファーザー
」だと探究を深めてきましたのは、
ふと興味の矛先がシチリア
に向いたからでありまして、
さればこそ「見逃すわけにもいくまいなぁ」というのが、
ジュゼッペ・トルナトーレ監督の公開中の新作「シチリア!シチリア!」であります。
「ニュー・シネマ・パラダイス」や「海の上のピアニスト」なんかでどちらかと言うと、
作りこんだストーリーで見せる(前者は自伝的要素があるにしても)感じかなと思っていたのですが、
内から湧き出す「故郷シチリアに纏わる映画を作らねば」との思いからか、
出来上がったのは主人公ペッピーノを中心に、ペッピーノの父、そしてペッピーノの息子と3代に渡る
家族の様子を通じて描き出すシチリア叙事詩であったのですね。
叙事詩という言葉で安直につなげるのはどうかと思うものの、
アルフォンス・ミュシャ
が晩年になって何かに憑かれたように大作「スラヴ叙事詩」に取り組んだような、故郷、出自に対する強い思いというのがあるようです。
(この辺り、日本人は極めて淡白かも…)
実際、トルナトーレ監督自身
「もう少し年をとってから撮るつもりだった」とインタビューに答えているようですし、
もしかすると後年、もうひと山描き出すことになるかもしれませんね。
というのも、どうも思いが先行してしまったのか、
細かな部分までの描きこみについていきにくいところがあるように思えるわけです。
やはりインタビューで、シチリアの歴史や当時の時代背景を知らずに理解できるかどうかとの問いに
トルナトーレ監督はこんなふうに答えています。
あまりにイタリア的だからね。でも、それは避けては通れない。きっと、観客は受け入れてくれるはずだ。
確かに3代の家族の周囲で起こるさまざまな事件を歴史の流れの中で捉えずとも見ることはできますし、
家族の物語として受け止めるだけでも「さすがに大した映画だな」と思えるところではあります。
ですけれど、たまたま先立っていささかながらシチリアの歴史をなぞった側からすれば、
ペッピーノの子供時代がどっぷりファシスト政権下にある様子、
大土地を所有する不在地主から農場管理を任された者(マフィアの卵になるのですが)の様子、
またペッピーノが長じて共産党に深く関わる様子、
未開地を占拠して農場化を図り、強制排除される様子等々は
知らないより知っていた方が格段に理解しやすくなる歴史の断片ではなかろうかと。
また暗示的使われる部分も多く、「卵」や「蛇」にはついていけても、
広場の場面で必ず顔を出す「ドルを買いますよ」と言っている人の存在などは、
思わせぶりに実に何度も出てくるだけに「何かある」と思っても、
一度見ただけでは分からないわけです(だから、分かってないのでが…)。
うまく言えないのですけれど、
ありのままの映画として楽しむだけではない映画になっているとすれば、
監督は「受け入れてくれるはず」と言ったものの、表面的に受け入れられはしても、
監督の意図が伝わったとは言いにくいような…。
その点で、これまでの作品とは一線を画すところがあるのかもです。
「シチリア!シチリア!」とは邦題であって、
同じ言葉を繰り返す語呂の良さに加えて「!」がついているものですから、
陽光燦燦のシチリアを舞台にした明るく楽しい映画を想像させるタイトルでもありますが、
原題はシンプルに「BAARIA」。
監督の出身地であるシチリア州バゲリーアを地元訛りで呼ぶときの「バーリア」がタイトル。
そうした土地への思い、また主人公には監督の父親のイメージを被せながら、
監督の名前であるジュゼッペの愛称ペッピーノを主人公に冠した思いのほどは、
さらりと楽しむわけにはいかない「重み」や「深さ」をこの映画に与えているような気がしたのでありました。
あ!でも、あれこれ知らないと全く訳わかんないということはありませんです、はい。
