先の記事で触れたような刺激
(?)がありますと、やっぱり読まずにはいられないですよねえ。
取り出だしたるはアガサ・クリスティー
の「オリエント急行の殺人」であります。
読んだことはありますし、シドニー・ルメット監督による映画化作品も見てますから、
メイン・トリックは忘れようったって忘れられないのですけれど、
今回は、作者が文中に仕掛けたと思われる目くらまし?と思しきとものを
どれほど拾えるだろうかというところが眼目というわけです。
読書巧者(?)の方々なら、それこそ山のような発見があるのでしょうけれど、
そうでない者でも(ちと穿ちすぎかもですが)いくつかの発見ができたものですから、
少しばかりピックアップしてみたいと思うのですね。
あっそうそう、「オリエント急行の殺人」の内容をご存知ない方は、
これから先はお読みにならない方が…。
これは冒頭も冒頭、オリエント急行の出発点であるイスタンブールにたどり着く前。
エルキュール・ポアロ
登場の場面から始めましょう。
寝台車のステップのそばでは、軍服に眼もあやな若いフランス陸軍中尉が、耳までマフラーで包み、見えるところといえば、ピンク色の鼻と、ぴんとひねりあげた口ひげの先だけといった小柄な男と話をしていた。
本作「オリエント急行の殺人」はクリスティーの長編では14作目と言いますから、
クリスティーのミステリ作家としての知名度は確立してたろうと思いますし、
一方でポアロ登場作では8作目だそうで、この灰色の脳細胞の持ち主もミステリー好きには
お馴染みになってきていたのではないでしょうか。
さすれば、この出だしを読んだだけで、「早速出たよ、ポアロだね」と思うこと請け合いですし、
しかも本人は至っておしゃれを気取りつつも、客観描写されるとこんなふうになってしまうというツカミには
思わず笑ってしまうところなのですね。
こうした印象は、作中の登場人物にも同じような印象を与えることになるわけです。
イスタンブールへ向かう列車からポアロと同乗することになった登場人物の一人は、
ポアロを見てこんなふうな印象を持つという。
小柄な男は帽子をとった。まるで卵そっくりの頭だ。メアリ・デブナムはさっきからの考えごとも忘れて、思わずほほえんだ。おかしな小男だ。本気で相手にする気にもなれない小男だ。
メアリ・デブナムはさすがにこの段階では、
この後にポアロが何らか絡みの出てくる人物だとは思っていないわけですが、
この第一印象からすれば、なんてことのない人物として
悪く言えば「侮り」の気持ちが出てもおかしくないですよね。
ということを、まず気付いてなるほどと思いかけましたが、
読者がこの思いつきで留まってしまうのはむしろ落とし穴かなと。
一番最初に、ポアロの登場場面で読者としてにんまりし、
その後メアリ・デブナムもやっぱり同じような印象を持ったことに気付くというか、
ポアロ与しやすしの印象を持ったなと思うわけですが、
ここで本当に肝心なのは「メアリ・デブナムはさっきからの考えごとも忘れて」という部分ですよね。
「さっきからの考えごと」とは何なのか。
意味もなく書かれたとは思えないひと言を読者は見落としてはいけないのに、
まんまとクリスティーの書きぶりで煙に巻かれてしまうという。
(普通、お読みなる方はこういうことに気付くんでしょうか??)
こうした煙に巻く表現は、よおく気をつけていると出てくるものでありまして、
放送大学の講義で指摘のあった、こんなのも「まさしく!」です。
世界じゅうの人が今夜にかぎって旅行に出られるようでございますよ!
これはオリエント急行の車掌のひと言。
イスタンブールをその晩に出発するオリエント急行の予約は、
手配を頼まれたホテルのコンシェルジェも車掌も驚く満席状態。
たまたま知己であったワゴン・リー社(列車運行会社)の重役ブーク氏と出会ったことで、
ポアロは車室を融通されました。
先の車掌のひと言は単に事実を言っているだけのようでいて、
実は車掌も驚く!時季外れの満席には、やはり「おかしいぞ…」と思うべきなんでありましょう。
物語が進行し、積雪で立ち往生した車内で殺人事件が起こります。
ブーク氏の依頼を受けて、ポアロが捜査に乗り出し、乗客の一人一人の証言を得ていくのですね。
殺されたラチェットという人物が、実はアームストロング殺害事件
(実際にあったリンドバーグ事件から着想)の犯人カセッティだと気付いたポアロが
乗客の一人とこうしたやりとりを交わします。
「ラチェットはカセッティなのです。あのアームストロング殺害事件の」
「いや、怨みをもっているものが三人や四人いることは確かですね」
殺された人物がすでにあった殺人事件の犯人であったとすれば、
「そりゃ、怨んでいる人もいるでしょう」という返答は何の不思議もないところでしょう。
ところが、わざわざ「三人や四人いる」というのは、「確実に怨んでいる人間がいる」ことを伝えるとともに、
「三人、四人もいれば充分じゃないですか」と言外に伝え、それ以上でないことを暗に植え付けてるとも
思われてきますね(ここまで来ると穿ちすぎか…)。
さりながら、ポアロもさるもの、簡単にはひっかからないのでして、
ブーク氏をヘイスティング大尉代わりに推理を進める中で、読者にも考えるヒントを与えてくれてます。
いいですか、かりにあの二人が共謀しているとしたら、われわれはまずどういうふうに考えるでしょう。お互いに相手のアリバイを持ち出すのではないでしょうか。そうでしょう?
怪しいと睨んだ二人に共謀がなさそうだとしても、
共犯者が「お互いに相手のアリバイを持ち出すことが常套手段だとすれば、
オリエント急行の車内で起こったことはどう考えられるだろうかと・・・。
ということで、またしても長い記事になってしまってますけれど、
こうした読み方をしていきますと、メイン・トリックが分かっていたとしても、
違う楽しみ方があると言わざるを得なくなりますね。
もっとも、ただでさえ遅読の者にとっては毎度こうした読み方をしていると、
ますます読める本が限られることになりそうではありますが、
それはそれと考えていいかもしれないですね。
書かれた情報を読み取るという点においては。
