あの夏の暑さが嘘のように、すっかり寒くなってきたこともありますけれど、
記事を書かなくなってからの放心状態(?)は体調にも影響したのか、
すっかり出不精になってしまい、弾けもしないピアノをぽろんぽろんとやっておりますと、
(あ、誤解があってはいけませんので申しますと、バイエルの最初のあたりだけ…)
何となく時間が過ぎていくという…。


先に申し上げた「少々やりたいこと」とは何なのかは後々触れることもあろうかと思いますが、
いったいこの虚脱感はなんでありましょうかね。

そんなところからの脱出を図るべく、自転車で府中市美術館に行ってきたわけです。


が、思考のベクトルがネガティブ方向に向かうとひたすらそっちに引っ張られることがあるのか、
どうも自転車の車輪の空気が甘いな…と気付いたりしますと、こりゃ遠乗りには向かんなぁと思って
引き返しちゃいそうにもなったりするんですなぁ。


でもって、数日をかけてようやく!今回の記事になったのでして、
とにもかくにも出向いた先では「バルビゾンからの贈りもの」展を開催中でありました。



「バルビゾンからの贈りもの」展@東京・府中市美術館


丁度、館長さんの講演もあったので聴いてきたんですが、
こちらの方もビギナー向け(つまり丁度いいということですが)で、
ちょっとした興味(!)をかきたてるものでありましたよ。


で、この展覧会ですけれど、

「バルビゾンからの贈りもの」というタイトルどおりにさらっとバルビゾン派 の作品を紹介しつつ

(といっても、ターナー からモネに至る広いレンジで紹介してますが)、
日本洋画の黎明期におけるバルビゾン派の受容と影響を探るというものだったのですね。


高橋由一「墨水桜花輝燿の景」


例えば、見るからに浮世絵の名残りがありありの高橋由一 「墨水桜花輝燿の景」あたりが、
バルビゾン派の息がかかったお雇い外国人フォンタネージが美術教師として日本にやってきて以降、
どんなふうに変わったかが見てとれたりするわけです。


ということで、明治画壇ではフォンタネージの影響もあってか、

バルビゾン派ふうに自然や農村風景などが数多く描かれるのですけれど、

まったくの個人的好き嫌いかもですが、以前にも書きましたように

油絵で描かれた日本(らしきもの)にはいささかの違和感を抱くものですから、
企画の意図に反してもっぱらバルビゾン派そのものを中心に見てきたのですね。


館長さんの講演で「なるほどなぁ」と思ったのは、バルビゾンという町のロケーションなんですね。
パリからさほどに離れているわけではないのに、喧騒からはすっかり離れたバルビゾンは、
東側にフォンテーヌブローの森を擁して、西側には広大に広がる麦畑であるといいます。


つまりは、朝日が差し込んで森の木々が息づくさまに

テオドール・ルソーは息を飲んだことでありましょうし、
麦畑の向こうに夕日が沈んでいくようすは神々しくもあり、

ミレー に大いなるインスピレーションを与えたことでありましょう。


今では街はずれに仲良くレリーフに刻まれて記念碑に収まっているミレーとルソーにとって、
バルビゾンは「ここでなくては!」という場所だったのかもしれませんね。


ところで、この展覧会はバルビゾン派を扱いつつも、

超有名作を持ってきて並べることがメインでない企画ですから、
「バルビゾンの七星」にも数えられない作家たちの作品もあるのでして、
そうした作品は超有名作がルーヴルやらの大美術館の所蔵するところとなっているのと異なり、
今でもバルビゾンの地に留まって、小さな「バルビゾン派美術館」に収まっていたりもします。


先の講演では(一流品が大美術館に持っていかれて残された)1.5流品が

バルビゾン派美術館に残ったような話もありましたけれど、そんな中から、この一枚はどうでしょう。


フェルディナン・シェニョー「砂けむりの中を行く羊の群れ」


フェルディナン・シェニョーの「砂けむりの中を行く羊の群れ」という作品です。
バルビゾンの西側に沈む夕日を背景に家路を急ぐ羊飼いと羊たちを描いて、

そのものずばりの絵ではありますが、夕暮れの畑で祈りを捧げるミレーの「晩鐘」を思い出すまでもなく、
壮大な広野での落日は自ずと敬虔な気分にさせるのか、

これも単なる羊飼いと羊の絵には思えないものがありますね。


とまあ、そんなふうにばかり大仰に構えるまでもなく、
さまざまに描かれる森の木々をいろんな画家で見比べるのもまた楽しいものでありましたし、
久しぶりに絵を見てあれこれの想像やら連想やらが頭を駆け巡る機会となったのでありました。
やっぱり引きこもっているだけでは、いかんですね…。