私は悩ましいときは、ピストーリウスに古いブックステフーデのパッサカーリヤをひいてくれるように頼んだ。夕方の暗い教会の中にこしかけて、私は、この異様な深い沈潜的な、自分自身に聞き入ってくるような音楽にひたった。それはいつ聞いても快く、心の声を正しとするような気分をいっそう強くした。
(ヘルマン・ヘッセ「デミアン」より)

先に読んだヘッセの「デミアン」の中の一節です。

あるとき教会に響くオルガンの音に耳を傾けたことから、
その奏者であったピストーリウスとの交友が生じたエミールは、
曲のおねだりができるくらいに関わりを深めます。


常に惑っている感のあるエミールがひとときの清涼感を得た音楽。
それがブクステフーデのパッサカリアとあらば、聴いてみようと思うわけですね。




ブクステフーデのオルガン曲にはかの大バッハも魅了され、
特にこのパッサカリアにはブラームスも関心を寄せた(出典:Wikipedia)と言われいるそうなのですね。


ブラームスの交響曲第4番の最終楽章がパッサカリアの形式で書かれていますけれど、
これはバッハから持ってきたということになっているものの、形式の選択にあたってはもしかすると、このブクステフーデのパッサカリアに根ざすところありなのかもですね。


そう考えると、17世紀のブクステフーデに端を発したものが、18世紀前半のバッハ、
19世紀のブラームス、そして分野は違えど20世紀初頭のヘッセに至るまで文化的な伝統として息づいているというのは、ドイツの懐深さを感じるなぁと思ったりしたのでありました。