アントワーヌ・ヴァトー の画集を見ておりますと、こんな一枚に出くわしました。
1716-17年頃に描かれたという「シャンゼリゼ」という作品です。


アントワーヌ・ヴァトー「シャンゼリゼ」


今はコンコルド広場から凱旋門に抜けるパリの大通りの

名前になっているシャンゼリゼでありますけれど、
元々はギリシア神話に出てくるエリュシオンという死後の楽園のことらしく、
そこから「エリゼの園」シャンゼリゼと名付けられたそうでありますね。


タイトルだけから判断して、
「ヴァトーが生きた時代のシャンゼリゼは今とは似つかぬのっぱらだったんだぁね」

と思ってしまったのですが、ギリシア神話のエリュシオンを描いたとするなら、のっぱらで差し支えない。


でも、そこに集う人たちの姿を見る限り、神話にしては洋服着すぎ(?)だよなと思うと、
やっぱりヴァトー時代のシャンゼリゼはこんなふうだったんだぁと思ったわけです。


こののっぱらがパリを代表する大通りに変わったのは、
やっぱりオスマン男爵による大改造あたりが関係するところなのでしょうけれど、
それで思い出したのが東京・銀座の大改造でありました。


先日「リチャード・ゴーマン展 」を見たときに、画家がアイルランド人であることもあってか、
会場の片隅にアイルランド大使館による自国を紹介する冊子が置いてあり、
その中で紹介されたいたのですね、現在の銀座の街路はアイルランド人によって設計されたのだと。


1868年に維新なって明治となった4年後、1872年に銀座が大火事に見舞われたのだそうです。
そこで明治政府では、江戸ではない東京の街づくり、

つまり木造でない洋風煉瓦造りの不燃都市を目指したというのですね。


あんまり意識したこともなかったですけれど、
銀座の街というのは比較的碁盤の目状になっているなぁと今さらながらに思います。


で、これを設計したのが当時御雇外国人として日本にいたアイルランド人

トーマス・ジェームズ・ウォーターズということでありました。


と、ここまで来てまたふと気が付くとですね、
パリの大改造と銀座の大改造(規模の違いはともかくとして)、

時期的にはさほど大きな開きがないのですよね。


でありながら、パリの街に行けば、

そぞろ歩きつつ辺りを見回しては「パリだよねぇ~!」なんてふうに思うところが、
銀座に行って「銀座だよねぇ~」とは思わないんではないかと。


銀座でウィンドウ・ショッピングはあるかもですが、

銀座の街を歩く楽しみはパリと比べ物にならないような…。


この違いはやっぱり伝統の差か?と思うものの、以前カイユボット の絵で見たように

むしろオスマンの大改造は古いパリをぶっ壊して作ったわけですよね。

ただ、大改造後のことを考えれば、違いは明らかかと。
パリは街並みの景観を大事にしてますけれど、

銀座(のみならず日本中)でやってることはスクラップ・アンド・ビルドで、
並びあったビルのそれぞれが自己主張してるような個性的(また没個性的も含めて)ですから。


あ、そうそう、アイルランド大使館の冊子には書いてありませんでしたけれど、
どうもこのウォーターズという人は、

実は建築家でもなんでもなくって要するにエンジニアだったらしいのです。


御雇外国人だというだけで(それだけではないかもですが)、

あんまり建築に詳しくない人に設計を頼んじゃうのが

明治日本だったのだぁと思ったりしたのでありました。