百科全書を作り上げた啓蒙思想家のドニ・ディドロが、
フラゴナール
に「(ディドロが考える)あるべき絵画」を期待して裏切られたことを書きましたけれど、
ディドロは百科全書の刊行に目途が付いた頃から一時期、
官展サロンを見て美術評論を書くという仕事をやっていたようなのですね。
そして、そのディドロの美術評に着目した論考がこの「ディドロと美の真実」でありました。
それにしてもディドロの手にかかると、
8時45分くらいの水戸黄門よろしくバッサバッサと死体の山が築かれるような
きびし~い批評が展開しているのですよ。
例えばこんな具合です。
人はこの優雅さと贅沢さで装った羊飼いたちをどこでみたのか?
…そこにいる魅力的なとても美しく着かざった、たいへんきれいで非常に官能的なこの描かれた女性は何をしているのか?
…何という色彩!何という多様さ!何という対象と観念の豊富さ!この人は何でも持っている。真実を除いては。
この舌鋒鋭い批判に晒されているのが、
フランソワ・ブーシェの「Shepherd and Shepherdess」です。
ご存知のとおりブーシェはフラゴナールの師匠に当たるのでして、
フラゴナールが閨房画家とも呼ばれる元となった
淫靡な香りを醸すような絵を描いたわけではないにせよ、
ブーシェもまたロココと言われた当時の貴族社会に大変受けた画家だったのですね。
そして、そうした貴族受けするところがディドロの批判対象になっているわけでして、
ディドロに言わせれば「今どきの羊飼いがこんなに優雅で贅沢であるわけがない、全くリアリティがない」
となるわけです。
通りすがりに見ればなんとはなし「きれいな絵だな」と見てしまいがちですけれど、
ディドロにそう言われてみれば、18世紀半ばの「今どき」、だんだんと大革命の近づいてくるご時勢に、
羊飼いたち(つまりは酪農従事者となりましょうけれど)がこういう姿、背景で
描かれることに大きな違和感を抱きますよね、確かに。
も一つブーシェが描いた「ジュピターとカリスト」という神話画を見てみると分かりますように、
神話画の舞台設定をそのままに羊飼いを描いてしまっているのだなと想像できるのですね。
が、これこそが当時の貴族たちのお気に入りだったという。
啓蒙思想家たちの考えるところ全てが貴族社会に受け入れられたわけではないにしても、
例えばジャン・ジャック・ルソーの「自然に帰れ」という言葉は独り歩き的に貴族社会においても、
自然礼賛の風潮に繋がったようです。
自然は美しい。自然を相手に生業をたてる者たちもまた美しい。
生活の実情などそっちのけでの思い込みがあったようで、典型的な勘違いは
マリー・アントワネットがお百姓ごっこを楽しみにしたようなものかもしれません。
ディドロにしてみれば、
美術批評の場でブーシェらに対して行った批判は当時の貴族社会そのものに向けられたもので、
現実を見もせずに(描きもせずに)貴族の人気に支えられたブーシェが
アカデミー・フランセーズの会長におさまってしまう当時の社会構図を見据えてたのでありましょう。
もっとも、百科全書の刊行が発禁処分などで行き詰まりを見せたときに助力を得たのが、
かのポンパドゥール夫人であったといいますから、何とも皮肉なものですよね。


