MOCAアーシル・ゴーキー の回顧展を見てから後に、

すこぉしばかり探究した成果(というほどでもないですが…)を
こないだ書きましたけれど、その過程でこんな文章に出くわしました。

ゴーキーはしばしば彼の天分はアルメニアで培われたものとしている。古代シュメールとヒッタイトの文化から発展したアルメニアのような偉大な文明は、偉大で革新的な芸術を生み出す、と彼は信じていた。
(メルヴィン・P・レーダー著「アーシル・ゴーキー」より)

なるほどゴーキーは祖国アルメニアに熱い思いを抱き続けていたようなのですけれど、
それにしても「古代シュメールとヒッタイトの文化から発展した…」とは凄い話だなと思ったわけです。


まあ、いずこの国でも

「我が国は長いながぁい歴史を誇っておりまして…」と言いたいところがあるようで、
神話のような形で語り継がれるものは、それこそ記録がないのをいいことに(とは、言い過ぎか)、
とてつもなく遥か昔の出来事だったりしますものね。


ただ、そんなふうに思ってしまう一因として、

あまりにもアルメニアを知らない!ことが挙げられようかと…。
まずもって、いったいアルメニアはどこにあったっけ?というところから。
つまり、今度はいささかのアルメニア探究というわけです。


現在のアルメニア共和国は、黒海とカスピ海の間、

ちょうど回廊のようになったところにあるのですね。


北にはコーカサス山脈が立ちはだかり、南側はすぐにトルコとイランの国境という狭いエリアに、
西からグルジア、アルメニア、アゼルバイジャンの順で並んでいる真ん中で、どうも一番小さいようです。

具体的には国土面積が29,800平方キロですから、関東地方(約32,400平方キロ)よりも小さいという。


ここでわざわざ「現在の」と言いましたのは、

かつてのアルメニアは大きかった!からなんですね。


歴史を紐解いてみますと、

今や「アルメニアってどこ?」という小国となっていることが嘘のように、
広大な領域をアルメニアと言っていたことが分かってくるのですよ。


このあたりは、しばらく前にウクライナ あたりのことに関連してあれこれ探究しておりますときに、
今では小さな国の並びであるバルト三国 のひとつ、リトアニアが

これまたびっくりするほど大きな領土を誇ったことがあったことを知ったのわけですが、

それと同じように「へえ~!」てなものですね。


といいうことで、アルメニアの歴史をちょっとばかり追っかけてみますと、
どうやら冒頭に引用したゴーキーの言葉も決して誇張ではないのかもしれない…と思い始めることに。


最初はちと神話めいた話になりますけれど、旧約聖書 の「ノアの箱舟」の話で

大洪水に見舞われた末にたどり着いたアララト山は今でこそトルコ領ですが、
昔々はアルメニアだったとそうでして、旧約聖書が舞台にするにはいささか遠い地点でありますね。


この「ノアの箱舟」伝説を含む「旧約聖書」は

紀元前10世紀から紀元前1世紀までの長い年月をかけて成立していきますけれど、
ユダヤの民とっては籔から棒のアララト山が登場したりすることからも推測されるように

元ネタが古代メソポタミアに伝わる「ギルガメシュ叙事詩」であるそうな。

こちらの方は紀元前20世紀とか、それ以前とか言われるものでありますから。


つまりは、ヨーロッパ諸国などはまだ欠片もない紀元前20世紀(もしくはそれ以前)から

アルメニアは歴史の表舞台に立っていたことがアルメニア人の自負に繋がってもいるのでしょうね。


そしてまた、アルメニア人にとっては言語の点でも、

インド・ヨーロッパ語族の元の元、ラテン語系とかゲルマン語系とかスラブ語系とかが
枝分かれする遥か前に一人立ちしたのがアルメニア語であることが誇りでもあるようです。


さらには、世界一早い段階でキリスト教を国家的というか民族的に受容したのも

アルメニア人だといいます、ローマ帝国よりも前なのですね。


てな具合に、歴史的な由緒の正しさ?は確かにゴーキーが誇るだけものはありそうで、
これまた昔々は大きな国土、何とコーカサスの南側のメソポタミア、小アジアを含んで
今のシリアのあたりまでを有していたことがあるとなれば、大変なものです。


ではありますが、シルクロードの交易を考えても交通の要衝であったことは

富が蓄積する場所として狙われやすかったんでしょうね。
次から次へと大国が攻め寄せてくることになるのですね。


ペルシャ、パルティア、ローマ帝国、アラブのイスラム王朝、ビザンツ帝国、
セルジュク・トルコに
オスマン・トルコ 、そしてロシアと、

近接する国とは争いが絶えないといった様子。


そのまま20世紀にまで至って、国としては妙に小さく区切られたままになってしまって、
未回収のアルメニアとでも言うような地域(ほとんどがトルコ領)ができたことから、
1970~80年代にはアルメニア人によるトルコ要人を狙ったテロが多発していたのだとか。
(その組織のひとつはロサンゼルスにアジトを置いて、ずいぶんロサンゼルスでもテロがあったそうな…)


この問題は領土だけでなく、

トルコによるアルメニア人ジェノサイド問題(トルコは認めていない)も絡んで、
なかなかにやっかいな印象を受けますが、最近はアルメニア人テロはほとんど聞かないようですね。


とまあ、「どこにあるの?」から始まったアルメニア探究のおかげで、

いくらか理解は深まりましたけれど、本当に世の中、知らないことだらけで…。