かつて「バーバー吉野」にはいささか面食らう部分もありましたけれど、
その後の荻上直子監督作品、「かもめ食堂」や「めがね 」といったあたりからは
押し付けがましくない癒しとたそがれ(?)をもらっているのですね。
となれば、やっぱり最新作の「トイレット」も見ておかねばなりますまい。


映画「トイレット」



これまでの作品で悉く異様なまでの存在感を示しているもたいまさこさんは、
ここでも健在でありまして、物語の中で声を発するのはたったの一箇所という、
まるでお能の舞台のような演技に終始しつつも、他の出演者を圧倒していたのですね。


本作でのおばあちゃん役はちと老け役に過ぎる部分はあるんでしょうけれど、
最初からもたいさんを想定して書かれたと思しき脚本は、これまでの共演で監督が熟知した
彼女の演技ありきのものでしょうから、嵌らないわけもないわけです。


まさに、もたいさんで見る映画ということになるのですが、
いろんな意味で肝心なのがタイトルにもなった「トイレ」と、
それに個人的に思うには「ミシン」と「ベートーヴェン」ではないかと思うのですね。


映画「トイレット」が「なぜトイレなのか」はご覧いただくとして、
例によって状況説明的な要素が少ないストーリーでは

作る側からはいろいろな示唆ではないかと思いますし、
見る側にとってはそれに対してアンテナをはっておくことが必要かもしれません。


そこで「ミシン」です。
カナダはトロントの片隅に暮らす3人の孫とおばあちゃん。

いったい父親はどうなっちゃてるのか?ですが、

日本人の母親が亡くなったところから話がはじまります。


基本的に英語のみで会話する孫たちに対して、

母親が亡くなる直前に日本から呼び寄せたというおばあちゃん(母親の母親ですね)は

どうやら英語が全く分からないらしく、そればかりか元々寡黙な人なのか、
いっかな口を開くことがないために、意思疎通が図れないことに孫たちは大いに戸惑っています。
(おばあちゃんは、意に介した風もない…)


そんなおばあちゃんには「本当に本物の祖母なのか?」との疑念まで生まれたりするのですが、
そこをぐぐっと近しいものに持ってくる繋ぎ目が「ミシン」です。


映画の中で古ぅいシンガー社製の足踏みミシンが登場したときには、
思わず懐かしさに浸りこみそうになってしまったほどの年代もので、
言うなれば母親の思い出とかなり濃厚に結びついているという。


これは何も個人的な思いばかりでなくって、
映画でも長男が何とかこのミシンを使って縫い物をしようと思うあたりに、
母親の記憶とたっぷり結びついているものだと想像できるのですね。


一方、このミシンがなぜトロントにあるのかと考えますと、

母親が結婚したときに日本から持ってきたと考えるのが自然かと思うのですね。

シンガー社のミシンとはいえ、日本でもそうとう出回っていたでしょうし。


そして、なんだってこんな大掛かりな古い機械を持ってきたのかを想像すれば、
やはり母親にとっても自分の母親(つまりおばあちゃんですが)との記憶が

そこにあるからと考えるのが自然かと。


そういう思い出の形であるミシンを、何も言わずに使いこなすおばあちゃん。
孫としては「やっぱり本物のおばあちゃんだ!」と思ったことでありましょう。


ところでもう一つ肝心なといったベートーヴェン は、

映画をご覧になっていないとかなり唐突ですが、
映画ではベートーヴェンのピアノ・ソナタ「ワルトシュタイン」のメロディが、
縦横無尽に使われているのですよ、それこそ手を代え品を代えて。


では、なぜベートーヴェンのワルトシュタインなのかといえば、

「ミシンが布を縫い進む音に似ているから」なんだそうです。


そのメロディが全編にわたって織り込まれているからには、
やっぱり肝心なのはミシン!ということになりますけれど、
タイトルが「ミシン」でなくて「トイレット」なのは、もうひと捻りということでしょうか。


という具合に、謎解き?めいたことも分かると余計に楽しめる映画なのでありました。