ロサンゼルスまで来てリトル・トーキョー に立ち寄ったのは、
何も観光がてらリトル・トーキョーを見てやろうと思ったわけではないのですね。


SCI-Arcのギャラリー を見てから

「Japanese American National Museum(全米日系人博物館)」に行く道すがら、
リトル・トーキョーらしいところを通り過ぎたということなのですよ。


出発前に映画「セントアンナの奇跡」 を見たときに、

第二次大戦下での黒人兵の扱いから日系人部隊にも思いを馳せ、
ロサンゼルスに行くならここにも寄るかと思ったのが、全米日系人博物館なのでありました。


Japanese American National Museum(同館リーフレットより)

1階で企画展、2階には常設展示がありましたが、まず1階の企画展「ミックス」を覗いてみます。
いわゆる混血と言われる子供たちの写真が壁面いっぱいに飾られていて、
それぞれの出自につながる国籍(といったらいいんでしょうか)が記載されていました。


ある子供には、日本人、イギリス人、フィンランド人、アイルランド人、ドイツ人の血が流れている。
別の子供には、アフリカ系アメリカ人、スコットランド人、アイルランド人、ドイツ人、イギリス人、
日本人、ポルトガル人の血が流れている…といったふうに。
こういった展示を見ていると「国籍って何だぁ?」と思えてくるのですよね。


その後、2階に上がって常設展示「アメリカに暮らす日系人の歴史」を見たのですけれど、
移民最初期の様子から、移民が根付く過程で生じていった反日感情、それに輪をかける日米開戦、
そして戦後の状況までがさまざまな資料展示とともに詳細に説明されていました。


歴史の中に確かにあったことを風化させない、強い思いを感じるものではなかったかと。

多くの日系移民がカリフォルニアに定住して農業に着手し、これが発展の兆しを見せ始めると、
やおら白人の反日感情が高まったと言います。


もともと若い発展途上の国であったアメリカでは、常に労働力を必要としていましたけれど、
黒人奴隷を酷使することができなくなった後、大量の中国移民に頼り、

数が増えて中国人への反感が募ると中国からの移民を禁止し、

今度は日本から移民が呼ばれるという。


ようするに、今で言うところの「3K労働」に対応する労働力が必要ながら、
日系移民がいざ農業のような、アメリカ人が生活の糧としている産業に参入し、
成功しはじめるとたちどころに反感を募らせる。


一方からだけの説明で理解や納得してはうまくありませんけれど、
例えば1913年にカリフォルニア州法で日本人の土地所有が禁止され、
1924年には新移民法によって、新規移民が禁止されたのは歴史の上の事実ですし、
中国移民のことから考えれば、「歴史は繰り返す」といえましょうか。


やがて迎えた日米開戦では、とにかく広大な国土ですので荒地の中に日系人は強制収容され、
星条旗への忠誠を示さんとばかりに軍に志願する者が現れるのですね。


これは知らなかったんですけれど、1941年11月に「マンソン・レポート」なるものが、
時の大統領フランクリン・D・ルーズベルトに提出されたのだそうです。
マンソン・レポートは、こう伝えています。

このグループ(日系人)の間には、目覚しい、ときに異常ともいえるような強い(アメリカへの)忠誠心が存在(している)

しかしながら、このレポートを米国政府は無視、隠蔽し、「軍事的必要性」なるものから、
「日系アメリカ人は敵国日本と同一視」することになったということなのですね。
こうした戦時中の日系人対応に対して、米国政府が公式に謝罪したのは1988年であったと言います。


こういったことに触れると、1階で見た展示での思いとはまた別に、
人間に貼られた人種とか、国籍とかいうレッテルって何なんだろう?と思ったりしてくるのですね。


もちろん戦争が背景にあったこともまた歴史的事実ですし、
それを全く無視しては話にならないところでもありましょうけれど、
ともあれ関係した人々、そしてこうした歴史を知ることになった人々の間では、
(必ずしも国だとか政府だとかといった機構に頼らずとも)
過ちは繰り返さないことを忘れてはいけないのですよね…。