この間TVだったかで、ひと頃の日本の住まいを指して「うさぎ小屋」と言っていたのは、
実は誤訳によるものだということを聴いたのですね。


元々はフランス語から出た話で、フランス語の「cage a lapins(カージュ・ア・ラパン)」は直訳すれば
「うさぎ小屋」ながら、集合住宅を表す言葉として使われているらしいのですよ。
それを英語で報じる際に、「うさぎ小屋」のまんまの英訳を当て、さらにそれが日本に入ってきたそうな。


ですから、当時言われた本来は「日本人はうさぎ小屋に住んでいる」でなくって、
「日本人は集合住宅に住んでいる」てなことのようで。
高度成長期にバンバン立てられた団地を指しているのでしょうね。


このことをふっと思い出しましたのは、ロサンゼルス が舞台となっている映画でも見ようかと
「奥さまは魔女」のDVDを見返しているときでありました。


奥さまは魔女 [DVD]/ニコール・キッドマン,ウィル・フェレル,シャーリー・マクレーン


空の上から魔女のイザベラ(ニコール・キッドマン )が降りてくる。
あたかも「メリー・ポピンズ」のようなかばんを提げて。


このときに、上空から見下ろされる町がロサンゼルス、というよりビヴァリーヒルズでしょうかね。
だんだんと家々が一軒一軒、はっきり見えるようになってくるのですが、
「あ!」と思いましたのは、「プールがある!」ということなんですね。
それも、こっちの家にもあっちの家にも、どこの家にもと言ってもいいほどプールがある…。


イザベラは魔法で何でも叶ってしまうようではない、

普通の暮らしがしたいと人間の世界にやってくるわけですから、
住まうことになった家(もちろん魔法で調達してしまいますが)にはどうやらプールはなかったようでして、
普通の暮らしだとさすがにプールは付いていないのかも。


さりながら、日本の高級住宅地と言われるところで実際にプールを持っている、
あるいは(プールを持つのはあまり日本人の意識になかったかもしれませんので)

プールを作りつけられる家がそうそうあろうとも思われませんが、どうなんでしょうかね。


としてみればですよ、もしかすると先の「うさぎ小屋」の誤訳というのも、
実は確信犯だったのではなかろうかと思えてきてしまったりするんですね。


一応、元をたどれば「誤訳でした。すいません」と言える弁明の余地を残しつつ、
心の中では確かに「ありゃ、うさぎ小屋だ」と思っているとか。


日本はかつてに比べれば格段に豊かになった(その分、格差も生じているようですが)とされているものの、
住宅の広さ(狭さ?)の点では多少よくなってはいるのかなというところでしょうか。


そこへ持ってきて、別の豊かさの象徴である種々雑多なものを家の中に持ち込むものですから、
なおのこと狭く感じるという。


今や電話機は無線になってますから、家の中を歩きながら話すなんてことは当たり前ですけれど、
アメリカのTVドラマなどを見ているときに、電話線が(日本人から見れば)異常に長いのを

目にすることが多々ありました。


それでもって、電話を持ったまま電話線を引っ張りまわしつつ、歩きながら喋ってる。
それを見ても「アメリカの家って、どんだけ広いんだぁ?」と思ったものです。


ですから、住まいの広さを羨んだりする気持ちはありながら、
例えば先日マカオで泊まったヴェネチアン の部屋の広さを持て余し、

「無駄に広い」などと思ってしまうのは、

歴史に培われた「日本人に適当なサイズ」みたいなものがあるんでしょうかねえ。
それとも、一般論でなくって、単に個人的感想なんでしょうか…。