平成生まれの書き手誕生と喧伝されたことで、
大いに話題となっていた朝井リョウさんの「桐島、部活やめるってよ」。
そのタイトルのキャッチーなあざとさにいささか眉をひそめつつも、
なんかの拍子に図書館の予約待ちに入れといたんですなぁ、きっと。
「予約の本のが届きました」と連絡があって取りに行ったら、この「桐島…」でありました。
さる評論家氏はこんなことを言ってますね。
クラスメートだったり恋人同士だったりする彼と彼女たちが、高校生活の核心ともいうべき部活動へのこだわりや屈託を各々に語りながら、いま自分がその只中にある「青春」と呼ばれる季節の優しさと厳しさに、ふと思い至る、そのなにげなくもかけがえのない貴重な瞬間を、これがデビュー作である朝井リョウは、鮮やかな筆致で掴まえている。
「青春」なるものの一面を捉えて、「まさに!」と思われる方もおいでなんでしょうなあ。
ただ一面と言いましたのは、
こうしたさも青春かくやという高校時代を過ごした人ばかり
ではないのではないかと思うところもありまして。
ですから、こうした話を自分の高校時代に引き寄せて考えることを、
当たり前のように誰にでも当てはまるものとして、
「ほおら、懐かしいだろ」などと論評されたとしたら、
その時期はそんなに一色ではないよねと思ってしまうわけです。
といっても、とんでもなく悲惨な高校生活を個人的に経験したわけではありませんけれど…。
てなことはともかく、先に言ったようにタイトルのあざとさにはいささかの引けを感じたものの、
扱う内容はさておいて、小説としての構成のユニークさは確かにあったかなと。
桐島というのは、ある高校のバレー部キャプテン。
それが、バレー部、ブラスバンド部、映画部、ソフトボール部、野球部と、
それぞれに属する章ごとの語り手の話の中で、
「どうやら桐島は部活をやめたんだってな」という噂話がちらり挟まれるだけで、
桐島は全く登場しないんですね。
そればかりか、こうした多角的な視点で語られる中で
「桐島は本当に部活をやめたのか」が浮かび上がってくる…
かと思えば、ちいともそうはならないという。
そもそも桐島なる高校生が本当にいたのか…というような、
ハリウッド映画的な想像までしてしまうところです。
文体はいささか一般的な文章作法から(あえてでしょうけれど)はみ出すものであったり、
語りには「ちょー」とか「うぜー」とか(感覚的にはそれ自体うざいものながらも、おそらくは)
現実を反映したものであったりするのでしょうけれど、
それでも「小説」を書こうして書いたことが分かる文章には
好感の持てるところもないではありませんね。
あんまり適当な引用ではないかもしれませんが、例えばこんなあたりはどうでしょう。
僕はどきどきしていた。片仮名でドキドキというよりも、とくんとくんと心臓がやわらかくあたたかく動く感じで、ひらがなでどきどき。
これは文字を通してでないと表現できないことをやっていますよね。
とまれ、柔らかい言葉ながら時折見せる文学的な?表現に引っ張られて読んでいくと、
今時の高校生の異次元性を感じつつも、
大人への過渡期(青春とはいわず)にありがちな変わらぬものもやはりあり、
「そうなんだね」と思うような瞬間も出てきたりするわけです。
「桐島、部活やめるってよ」「そう・・・で、桐島って誰だっけ?」
もしかして自分かもとほんの少し・・・。
