ドイツのとあるイベントで、子供サッカー・チームの選手たちが
あの!オリヴァー・カーンに挑むというものがあったそうです。
サッカーが楽しくて仕方がない子供たちが
オリヴァー・カーンの守るゴールにシュートを放つわけですね。
このイベントでは(ありがちなことですが)プロのゴールキーパーが
子供にゴールを決めさせることが慣習化してたようなのですけれど、
カーンは「自分がゴールを守って得点させない」ことに命を懸けていますから、
子供たちのシュートを全て防いでしまったそうです。
その後「イベントなのに、子供相手にむきにならなくても・・・」と
子供をかわいそうがる声が出たそうですけれど、
さあ、このオリヴァー・カーンの対応をどう思われるでしょうか。
というよりも、子供たちの反応の方はどうでしょうかね。
プロのゴールキーパーが恒例どおりに、
子供のシュートをわざと撮り損ねて得点させてやったとしますね。
間違いなく、そのときは大喜びすることでしょう。
でも、「オレさあ、子供んとき、プロのキーパーから得点したんだぜ!」てな自慢話をしていたら、
「お前、バカじゃないの!わざとに決まってんだろ」ということになりますし、
そもそも、少し大きくなれば「わざと得点させた」ことは自分でもすぐに気付くでしょうから、
そんな自慢話をするまでにも至らないでありましょう。
逆に、オリヴァー・カーンは全て守りきったわけで、
得点できなかった子供たちは残念に思うでしょうし、
中には勝気な子供がいたら泣き叫んでしまうかもしれません。
それでも、この場合の方が
「オリヴァー・カーンは凄かったな。全部防いじゃったものな」と記憶に残るのでは。
そう思った子供の中から、プロは厳しくて大変なんだという想像をしつつ、
目指すものは相応の努力していくようになるかもしれません。
でもって、何が言いたいかといいますと、
子供のご機嫌取りといいますか、おしなべて子供扱いというものは
対症療法の一つだなぁということなんですね。
その場の機嫌を取り結ぶためには「やさしくしてやっかな」という子供扱い。
本当はどうすることがいいのかといったことを深く考えずに、
「いいでちゅよぉ~」なんて言っちゃう言動でしょうか。
このオリヴァー・カーンのエピソードは、
ピアニストの廻由美子さんのエッセイ に紹介されていたもので、
廻さんはその中でこんなことを書いていました。
大人が子供の機嫌ばかりとって「子供に気に入られるもの」ばかりを提供していると、子供はだんだんスレてくる。大人になるよりも子供のままのほうがラクチンだ、大人になって子供の機嫌とらなきゃならないくらいなら、大人になるのヤ~メた、となる。大人になるキッカケを失うと、恐ろしいことにいくら年をとっても子供、という状態になり、気づいたときにはもう遅い。
周りを見回して、「すでにもう遅いかも…」なんてふうに感じたりしませんか。
だからといって、いつも大人とおんなじように扱うわけにも行きませんよね。
これは自分の話になりますけれど、近所に押しボタン式の信号の付いた横断歩道がありまして、
あまり交通量が多くもありませんので、基本的には安全かどうかと判断して、
ボタンを押すことなく渡ってしまうことがままあります。
ただ、周囲に子供がいるときには、
ちいとも車が来ないときにもボタンを押して待つことにしています。
時折、我ながら偽善的な…と思ったりすることもありますが、
いかに交通量が少ないとはいえ車は走っていますから、
走ってくる車と自分との相対的な感覚で安全かどうかを決める判断力が、
子供のうちは未成熟ではないかと思うのですよ。
ですから、赤信号で横断歩道を渡ることに対して
「大人がやっているなら、自分だって」という気持ちを子供に起こさせてはいけんのではなかろうか
と思うのですね。
たかだか一人ふたりの大人がそうしたところで、
世の中には最低限の社会的マナーすら守れない大人が山のようにいますから、
暖簾に腕押しかもしれませんし、ともすれば偽善的なスタンドプレー、
はたまた自己満足てなことになってしまうのかもですが、
たとえそうだとしても「あれ、この人はなんですっと渡っちゃわないの」と思ってくれるかもしれませんよね。
大人に向かってきちんと成長していく過程にある子供なら。
「まったく近頃の子供ときたら…」的な印象を持つことは多々ありますけれど、
その前に大人の方が考えなくちゃいけないですよね。
そもそも子供にちゃんと対応できてるか、してやってるかと。
とまあ、またしても自分のことを棚に上げないとできない話をしてしまいました…。