この間の日曜日、暑さに呆然とする吉祥寺を歩いておりますと、
何らかのイベントだったのでありましょう、泉谷しげるの街角ライヴのようなものに遭遇したのですね。
リアルタイムで泉谷しげるの存在感はいかばかりなのか、測りかねるところではありますが、
遭遇記念に一枚残しておいたわけです。
この人も昔から何だか変わらない、ガキ大将みたいな人だなあと思い返してみたりしたものですから、
家に帰ってから、何とかかんとか古いカセットテープを探し当て、
聴くことにしたのですよ、泉谷しげるを。
「泉谷しげる登場!」は記念すべき?デビュー盤でライブを収録したもの、
「光と影」はスタジオ録音で、たしか4作目だったでしょうか。
とはいえ、この辺りの作品はリアルタイムで聴いていたわけではありませんし、
もとより泉谷しげるをよく知っているわけでもないのですが…。
たまたまこの2枚は図書館で借りたLPをカセットテープにダビングして、
聴いたことがあるというだけですけれど、やっぱり本領はライブにありますね。
今では「フォークソング」という言葉は死語になりかかっていて、
60年代フォークとか、70年代フォークという以外、
一般的に「フォークソング」が言葉としても、また歌としても聴こえてくることはないのではないかと。
アメリカのカントリーあたりから派生したのでしょうけれど、
フォークソングは本来メッセージソングであって、
高田渡の「自衛隊に入ろう」のような反戦的な風刺もあれば、
中川五郎がライブで童謡「ちゅーりっぷ」のメロディにのせて、こんな歌を歌ってましたっけ。
♪決まった、決まった、内閣の顔が
並んだ、並んだ、デブ、ちび、のっぽ
どの人みても腹黒い(じゃぁん)
まあ、フォークのライブ(というより集会というべきか)では、
みんなでこんな歌をわいわい歌っていたのでしょう。
当時の世相が偲ばれるといいましょうか…。
泉谷しげるは、こうした世代に続くあたりでしょうかね。
メッセージの向けられた先は主に「社会」「世の中」であるとは思いますけれど、
デビュー盤の「義務」という歌に登場する「一庶民です」という言葉が示すように
思い切り身近なところに引き寄せているところから、
これはともすると私小説的な世界になっていくんですね。
こうした流れが、例えば南こうせつとかぐや姫の「神田川」に代表されるような
四畳半フォークを準備することになったのではないかと今さらながらに思ったりしたわけです。
結果的にメッセージ性を喪失していく中で、
フォークのパワーは失われていったのですけれど、これもまた世相の反映でありましょうね。
日本でいささかなりとも過激なデモのようなことが起こらなくなってからは
フォークではなく、ニューミュージックであり、果てはJ-popの時代でしょうから。
てなことを含めて、時代は変わったのでしょうかね。
ずいぶん前のラジオ番組で吉田拓郎
が小室等に
「小室さんは酒を飲むと、いつも『戦争はなぜ起こるんだ、バカヤロー』って言いますけど…」
みたいなことを言ってたことがあります。
そういうやり取りのある時代があったということなんですが、
昭和のおしまいの頃でさえ、遠くを見るような目でないとできない話だったと思いますから、
平成の世となれば、戦争の話と同じくらい昔というふうに受け止められることなのかも…ですね。


