「風船爆弾
」の本を読んでおりますときに、
陸軍技術研究所が東京・国分寺にあったと書かれていましたので、
「え?近くじゃん」と思ったのですね。
JR中央線の国分寺駅を過ぎてすぐ北側に日立の中央研究所が広がっていますので、
「もしかすると、ここかぁ??」なんて思ったわけですが、
そんな折りには不思議とそういう関連の本が見つかるものでして、
図書館でこんな本を発見したのでありました。
題して「写真と地図で読む!知られざる軍都 多摩・武蔵野」。
「軍都」とは凄まじいなぁと感じたのですけれど、
読んでみれば確かに関連施設が山のようにあったとは言えそうです。
で、先ほどの陸軍技術研究所ですけれど、
正確には東京・小金井市の方でしたね、国分寺でなくって。
風船爆弾の開発に携わった登戸研究所
は第九研究所でしたが、
その他の第一、第二、第三、第五、第七、第八といった研究所群が
小金井にあったということなんですね。
ところで、この研究所群の跡地は相当に広いわけですけれど、
その跡地で今現在大きな区画を占めているのが、東京学芸大学になります。
もちろん連続した関係性があるわけではないものの、
先の登戸研究所の跡地は明治大学になってたよな…と思うと、
少々想像めいたものが沸々と起こるのも無理ないことかと。
実際、本書でも軍需に関わる工場を含めた関連施設の跡地に学校が多いという指摘がありました。
学芸大学、明治大学の例のほかにも、なるほどいろいろありますね。
- 調布飛行場(現在は一部が残存)跡地 ⇒ 東京外国語大学、警察大学校
- 中島飛行機三鷹研究所跡地 ⇒ 国際基督教大学、東京神学大学、ルーテル学院大学
- 傷痍軍人東京療養所跡地(清瀬市) ⇒ 日本社会事業大学
- 村山陸軍病院跡地(武蔵村山市) ⇒ 東京経済大学
- 陸軍通信学校跡地(神奈川県相模原市) ⇒ 相模女子大学
- 陸軍兵器学校跡地(神奈川県相模原市) ⇒ 麻布大学
いずれもかなりまとまった敷地で、
ある程度広さが必要な大学には打ってつけだったのかもしれません。
少々変わりダネだなと思いますのが、
東京都町田市と神奈川県横浜市に跨る「こどもの国」でしょうか。
ここが子どもの遊び場となる以前には、
陸軍が弾薬の製造・貯蔵するために使った「田奈弾薬庫」という施設だったそうなのですね。
そういう目で見ると、確かに娯楽施設には余りに怪しげな倉庫があったり、
地下からの排気塔のようなものがあったりするといいます。
また、JR横浜線と東急田園都市線が交差する長津田駅から
「こどもの国線」という盲腸線が走っていますが、
これは要するに弾薬庫への引込み線であったそうです。
引込み線と言えば、
実は住まいの近くにもかつてあったものが今ではすっかり遊歩道になっていますが、
これも陸軍獣医資材廠、立川飛行機砂川工場と中央線を結ぶための
連絡線だったということまでは知りませんでした。
地域的な歴史は「郷土史」の名のもとに好事家のものという気がしてましたけれど、
何も軍事施設ばかりのことではありませんが、
結構思いがけないことがすぐ近くにあったのだなと気付くことになりますねえ。
