つい先ごろ読響の演奏会で交響曲第5番を聴いた ばかりですけれど、
それがまだ記憶に残っているうちに、ひとつ変わったものが目にとまりました。
「プロコフィエフ短編集」なる一冊の本です。
プロコフィエフが短編小説を書いていた!というわけです。
かなりお追従めいたものながら紹介文を引用してみましょう。
20世紀はじめのロシアを代表する作曲家プロコフィエフが不思議な魅力にあるれた短編小説をいくつも書いていた!エッフェル塔が突然歩き始め、キノコ狩りの子どもは地下王国に迷いこみ、ニューヨークの摩天楼に現われたエジプト王がアメリカの石油王と奇妙な対話を繰り広げる…。
今世紀になってはじめてその存在が明らかになった音楽的小説の世界を日本で初めて紹介。(「プロコフィエフ短編集」カバーより)
最初から短編集と言っていますから誤解はないものと思いますが、
この紹介文にあるエッフェル塔、キノコ狩り、エジプト王の話は全部別々のものであります。
これらが一編のお話の中で出てきたら、それはそれで奇天烈な楽しさだったかもしれませんが、
とはいえ、ひとつひとつとっても充分に突拍子も無い話だったりしますけれど。
例えば、エッフェル塔が動きだすという「彷徨える塔」なる一編。
やおら四本足で歩き始めたエッフェル塔はフランス国土を南下し、
マルセイユで地中海に踏み込んで行った場面はこんなです。
塔は突然自らの動きを止め、急にその場にとどまった。あたかも困難な問題を解決しようとしているようだった。何か目に見えない力によって引かれる方向に進むのか、あるいは、塔の巨大さをも上回る通行不能の海の深さの前に降伏するのか。
そして、塔は降伏した。
まあ、荒唐無稽な馬鹿馬鹿しい話なんですが、
海の中でにっちもさっちもいかなくなって戸惑うエッフェル塔を思うだけで、
何だか笑っちゃいますよね。
こうした話を、あのプロコフィエフが手すさびとはいいながら、
一所懸命に考えている姿もまた珍妙な気がします。
しかし誠に遺憾ながら、小説としての出来具合はといえば、
有名作曲家の遺稿でなければ本にならなかったろうなぁとも。
これらの小説の多くは、元々文章を書くのが好きだったというプロコフィエフが、
1918年にシベリア鉄道経由でアルゼンチンを目指す旅(後に米国に行き先変更)のさなか、
ピアノに向って作曲したり練習したりがままならない中で書き進めたようですね。
ハバロフスク、ウラジオストクから船で日本の!敦賀に渡り、汽車で東京へ。
しかし、乗る予定だった南米行きの船は三日前に出航してしまっており、
次の便船は二ヶ月も先とあって、思いもかけず長めの日本滞在となったとか。
本書には創作のほかに、
常日頃付けていた日記からの抜粋で「日本滞在日記」が収録されているのですが、
こう言っては失礼かもしれないですが、日記の方がだんぜん面白いし、興味深くもあるのですね。
日本で足止めという想定外の出来事を前に、東京、横浜はもとより、京都、大阪、奈良へ出かけ、
はたまた軽井沢や箱根にも足を運んで、日本の田園風景に感激するかと思えば、
日に日に乏しくなる所持金が心配のあまり、為替の変動に一喜一憂してみたり。
当時二十代後半の青年プロコフィエフの姿からは、
「やっぱり人間じゃのう」という気がしみじみしてきます。
面白いところはたくさんあるんですが、
1918年6月13日、大阪に行ったところを引用してみましょう。
急行電車で大阪に行った。活気のあるじつに日本的な街で、ヨーロッパ人にはひとりも出会わなかった。ことに珍しい光景は劇場、それも舞台ではなく、客席だ。全員が箱のような枡席に座り、弁当をほおばり、ものすごい速さで扇子をあおいでいる。興味深いのは、数千もの大小の灯りと、そぞろ歩く大群衆があふれた夜の大通りだ。わが国の床屋にはマニキュア部門があるが、ここには耳掃除部門がある。じつに面白い。わが国の耳の遠い音楽家連中を、こちらに送ってはいかがなものか。
なんだかとっても、セルゲイ・プロコフィエフさんが身近な人のように感じられてくるのでありました。
