東京オペラシティには何度となし出掛けていますけれど、
「いのくまさん」展 を見にいくのにふっと気になったのは、この施設のある初台という地名なのですね。
このところ、街角の歴史 みたいなことにもちょっと目が向いているからかもしれません。


個人的な印象としては「初台(はつだい)」という湯桶読みと「初」という字から受ける印象とで、
てっきり町村合併とか区画整理みたいな折りに付けられた比較的新しい町名かと思ったのですが、
おおはずれでありました。


何でも、江戸城を築城した(ことでしか知らない)太田道灌が、

代々木村と言われたあたりに烽火台となる砦を8か所作ったそうなんですが、
その「一の烽火台」があった場所から、初台と呼ばれるようになっていったということなのですよ。


そもそも太田道灌は1432年生まれの1486年没ということですから、

室町時代の人だというのも初めて知ったわけでして、思っていたより断然古いのでした。


どうも太田道灌という人は、

とにもかくにも「江戸城を作った」ということでしか知名度がないというのは思い込みなのか、
少々調べてみれば、新宿中央公園に像があるとか。

(いちばん武者ぶりの立派なのは日暮里駅前にあるようですが)


新宿中央公園のものは「久遠の像」と名付けられて、北の端っこの方で草に埋もれかかっていました。
女性が跪いて扇を差し出し、反対側には太田道灌と思しき侍が佇んでいるという構図です。


「久遠の像」@新宿中央公園


国木田独歩の「武蔵野」 にも紹介されていた話で、

山吹にまつわる逸話として語り継がれているものを像にしたようですね。
新宿区山吹町という町名もありますが、どうやら話の舞台はそこらしい…。


「武蔵野」の時代でも渋谷が原っぱなんですから、

太田道灌の生きた室町時代の新宿などは狐や狸の棲み処であったでしょう。
あるとき狩りに出た道灌がにわか雨に降り込められて、近くの茅屋に蓑の借用を申し出たといいます。


すると、このあばら家住まいの娘が差し出したのは、蓑ではなくて山吹の花であったそうな。
道灌が怪訝に思っていると、諸事に通じた家来の曰く

「これは後拾遺和歌集の歌に倣ったものである」ことを耳打ちするわけです。
その歌というのが、これです。

七重八重 花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき

この「実の一つだになき」で「みの(蓑)ひとつない」境遇を察して欲しいというわけですね。
「うまい!座布団一枚!」と言いたくなる話ではありませんか。

だからというわけではありませんが、この逸話を元にした「道灌」という落語ネタがあるそうで。

いったいどういう落ちなんでしょう。。。


ところで、その道灌の墓所というのが神奈川県伊勢原市にあるというのですが、

なぜかJR錦糸町駅から北へ数分行ったところの、平河山法恩寺 にも墓所があるらしい。

訪ねてみれば、法恩寺の開基が太田道灌によるという縁から、

供養塔と記念碑がここに築かれたのだということです。


太田道灌公供養塔 山吹伝説を描いた道灌公記念碑



それにしても、先に触れた日暮里駅前の銅像ばかりか、

東京国際フォーラム(の片隅?)にも像があるといいますし、

やはり東京、江戸の開けるおおもとには太田道灌あり!ということなんでしょうかね。


ちなみに「久遠の像」のある新宿中央公園から見える東京都庁舎、

そして法恩寺を振り返り見れば、どんどん高さを増す東京スカイツリー。

太田道灌ゆかりの場所の近くにある、東京の「今」を道灌公はどんな思いで見上げているでしょうか…。


新宿中央公園から見る東京都庁舎 法恩寺の山門越しに見る東京スカイツリー