アガサ・クリスティ の「終わりなき夜に生れつく 」というタイトルが、
ウィリアム・ブレイクの詩から取られたことだけは触れましたけれど、
この人はてっきり絵の方の人だとばかり思っていたのですね。
そこで、少々ウィリアム・ブレイク(1757-1827)を探究しておこうと思ったわけです。


世の中にも器用にもというか、天が二ぶつを与えたもうたのか、
二足のわらじを履き続ける方がいますけれど、どうやらウィリアム・ブレイクもその類いだったようです。


ただ、版画と詩という二つが車の両輪という以上に、
スケートボードのように一枚の板に乗って互いに引き剥がしようのないものであったような。
実際、世間的にはどちらの方が有名なんでしょうねえ。


とはいえ、ブレイク自身は「生涯一版画職人」といった意識であったようですね。
成り立ちから言っても、14歳で版画家(というより彫版職人か?)に弟子(というより徒弟)入りしていて、
表向きの職業は版画の世界ということになります。
ですから、当初は詩作が余技であったというなのでしょう。


職業とは言いましたけれど、ブレイクは生涯、貧乏とは縁が切れずにいたようですが、
そうではありながら、自身の技量に関して

「自分の作品はミケランジェロやラファエロ の作品と同格だ」

と広言して憚るところがなかったと言いますので、

エキセントリックが人物といった見られ方をしていたのかもしれません。


1779年、徒弟修業を終えたブレイクはロイヤル・アカデミー の研究生となりますが、
ジョシュア・レノルズ(ロイヤル・アカデミーの初代院長)のところへ

自作のデッサンを持っていったときの話というのが逸話として残されています。


なんでも、レノルズに「もっと節度をもって描き、絵を修正するように」言われたことが

よほど頭に来たのでしょう、ブレイクはその後生涯にわたってレノルズを罵倒し続けたそうです。
自信家というより、やっぱりエキセントリックなような…。


ただ後々の評価として、とある美術史家?によればこんなふうになります。

レノルズはともかくも18世紀イギリス画壇にある種の功績を残したものの、ブレイクはレノルズに対して、ありとあらゆる罵言を残している。いまとなれば、それが正当だったと思われる。

今度はレノルズの方が草葉の陰で怒り心頭なんではないでしょうかね。


ところで、ブレイクの作品(自分の詩集にたくさん挿絵を銅版画でつけていますが)は、

どんなだったのでしょう。


ウィリアム・ブレイク/ダンテ「神曲」より



画集で見る限り、非常に荒削りな印象を受けますが、

立ち上る雰囲気はラファエル前派 への影響を感じさせるものだと想像されますね。

また、怪奇的な事物のあしらいはフュースリなども思わせるところです。


「大いなる赤き竜と日をまとう女」


この当たりの幻想的な要素を考えるときに、

「ブレイクは予言者だった」とも言われる話が残っているそうなのですね。

例えば、最初の弟子入りの前、とある版画家を父と訪ねたあと、ブレイクはこんなことを言ったとか。

「お父さん、ぼくはあの男の顔が嫌いだ。そのうち、あの男は首を絞められて死ぬよ」

この版画家は12年後に紙幣偽造の罪で絞首刑となったそうな。
また、弟がなくなったときにブレイクは「弟の魂が喜びに手を叩きながら昇天していくのを見た」と
語ってもいたようです。

まあ、ブレイクがかような特殊な能力の持ち主であったのかどうかは確かめる術もないですが。


という具合で、人物像としてはとかく世間を騒がすタイプであったとも想像されますけれど、
一方でこのようなじわりと来る詩を残していたりもします。

他人の悩みを見て 自分も悲しくならずにいられようか
他人の嘆きを見て やさしい慰めを探さずにいられようか

あふれ落ちる涙を見て 自分も悲しいと感じないか
父親はわが子が泣くのを見て 悲しみで一杯にならずにいられようか

母親はじっと坐って聞いていることができようか 幼な子が呻き、幼な子が恐がるのを
いやいや、そんなことはあり得ない 決して決して、そんなことはあり得ない

(ウィリアム・ブレイク「無垢の歌」より)
ウィリアム・ブレイク/詩集「無垢の歌」


クリスティの「終わりなき夜に生れつく」の非道な犯人にこそ聞かせてやりたいところではありませんか。
人間は無垢なものとして誕生すると信じたブレイクにすれば、
かのクリスティ作中の犯人のような人間が存在することが信じられないくらいかもしれませんね。


といいつつ、ここに引用させてもらった3枚が同じ作者だともまた、信じられないような・・・。