井上ひさしさんの戯曲には、樋口一葉とか石川啄木とか
実在した人物の生涯のひとコマを切り取って作品化したものがありますけれど、
一度見てみようと思いつつ、なかなか果たせずにいたのですね。
普通は井上さんが座付作家になっているこまつ座公演で見るものとは思いますが、
たまたま前に公演を見た ことのある「ハイリンド」という小劇団 が
「泣き虫なまいき石川啄木」を取り上げていたものですから、千秋楽に見てきたのでした。
石川啄木といえば…
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢつと手を見る
というくらいで、貧乏だったんだろうなあとは思っていましたけれど、
(芝居故の誇張があるのか、はたまた現実はもっともっと酷かったのかは分からないながら)
いやはや大変な生活だったようですね。
もちろん評伝なんかによっても、その困窮ぶりやそれ故の社会主義(共産主義)への傾倒などが
伝えられるところではありましょうけれど、
芝居として日常生活を目の当たりにさせられると、より身につまされるわけです。
自らも小説を目指して売れず認められず、当然収入はほとんどなく質屋を贔屓にするたけのこ生活、
妻と姑との直接、間接の諍い、禅宗の坊さんながら呑んだくれで禅問答のような会話ではぐらかす父親、
幼い子の死、そして自身を蝕む結核・・・。
絵に描いたような不幸な家族なわけですね。
太宰のような火宅というイメージとは違いますけれど、これはこれで凄まじいばかりです。
かつて不遜にも(?)太宰にイエスのイメージを重ねたことがありましたけれど 、
これだけ世のあれこれを背負って逝ってしまった啄木からも想起されるものはあるわけですね。
芝居としては井上戯曲なだけあって、
そんな悲惨な状況にもかなり笑いの要素をふんだんに盛り込んで、
石川啄木一家に仮託した「家族というもの」の一面を普遍的に描出していて、
先に書いたように「身につまされる」のですが、
終りの方で啄木がぽつりと呟くひと言がかなりハッとさせるものでありました。
曰く、「もうすぐ死んでしまうと思えば、その人にはかくも優しくなれるのか」ということ。
それまでぼろぼろの泥仕合にはまり込んでいた者どうしが、やおら労りあうといった…。
これでハッとするなら、日常から同じように考えて接すればいい。
なにしろ明日は何が起こるかわからないのですから。
そのとおりではあるんですが、なかなかそうは思えないのも人情なんですなあ。
てなことを考えると、人間のいい面というよりは
あんまりよろしくない面に目を向けているようになってしまいそうですので、
せめてその辺りのことから離れて(逃避してということになっちゃいますかね)、
純真な気持ちにさせてくれる啄木の歌をくちずさんで見るとしましょうか。
不来方の
お城の草に寝ころびて
空に吸われし十五の心
