ブログネタ:遅刻の思い出
参加中例えば映画館に入って、予告編が終わりいよいよ本編が始まろうかという頃合い。
後の列でひそひそくすくす言ってる二人連れに
「こっからは、静かにしててくれんだろなぁ、おい、こら!」
と心の中で凄みつつ始まりに備えていると…。
後方の扉からスワーっと一条の光が差し込んだかと思うと、
「番号が見えない」などと言いつつ席を探す人影が現われるという。
実によくある光景でして「どうして、こう遅れてくる人がいるかなぁ、も少し早く来りゃいいのに」と
思っていたわけです、ずうっと。
ところが、自分でも似たような経験をすると、少しは考え方が変わるものですね。
充分に余裕を持って出かけたけれど、
途中の止むを得ざる理由でぎりぎりになってしまった。
これは致し方のないことでしょうから、
それでも十二分に他の人に影響を与えない最大限の努力をしていただければ、
「よぉし、許しちゃる!」という気にもなろうかと。
と、例によって長い前置きはこのくらいにして、
ウィーン放送響 の演奏会を聴いたときに思い出した昨年11月のウィーンでのお話です。
フォルクス・オパー
にオペレッタを見に行こうとして、市電を待っておりました。
比較的頻発している路線であるにも関わらず、なぜかちいともやってこない。
電停には人が増え始め、時計とにらめっこを始める人も。
タクシーを止めようにも、こういうときにはちいとも見当たらないのですね、不思議と。
なんとかやってきたギュウギュウ詰めの市電に乗り込んだものの、
こりゃ乗り換えの市電によっては、かなりギリのタイミングだな…と焦り始めていたわけです。
そして、ウィーン大学前の電停で乗り換えとなりましたけれど、
これは前の記事にも書いたとおり、乗り継ぎ路線の電停は地下にあったんですね、後から気付いてみれば。
その時には只管急いてますから、乗り場はどこじゃと探しながらも、市電の進む方向に早足で進み、
結局乗り換え場所のひとつ先の電停で捕まえることになってしまいました。
もう焦り度合いは急上昇しています。
こうした慌てているときほど落ち着かなくっちゃいけないのですけれど、
やっぱり「まずい!やばい!」と思っていたのでしょう、
車内アナウンスを聞き違えて、今度はひとつ手前で降りてしまったのでありました。
目の前のゆるい上り坂をゆうゆう市電が走り去るのを追いかけるように、ここからは完全ダッシュ。
近頃簡単に息があがってしまう傾向にありまして、劇場にたどり着いたときには息もたえだえ。
そこから階段を駆け上がり、クロークにコートを預けたときには開演1分前。
悲壮な顔つきでぜいぜいいいながら、コートを預ける東洋人に
さぞクロークににいちゃんはびっくりしたようで。
予め通路側の座席を指定してありましたら、
さほど他の人には迷惑をかけずに済んだとは思いますし、
完全に遅刻してしまったわけでもない。
ではありますが、最初に乗ろうとした市電は確かに遅れていたものの、
さらには乗り換えでもたつきはしたものの、
それでもちゃんと目的地の電停で下車していれば、5分の余裕はあったわけで、
最終的にこうなってしまったのは、「慌ててしまったこと」に尽きるのではないかと。
いつも平常心でいるには、「もそっと精神力を鍛えなければいけんのう」と思ったわけでありまして、
その分、他の人対してもいささか鷹揚にかまえているようになっているのではないかと思うわけです。
ただ、映画の前にぎりぎりまで買物してて、どっさり買物袋ぶら下げて、
ばたばた入ってくるのは無しでお願いしたいなと…。