ジャズ・ピアニストの中島さち子さんが、こんなことを言っていました。
(円周率)πを「3」として計算する「ゆとり教育」がありましたが、それは本質ではない。
「ゆとり」というなら例えば、πを10桁まで計算してみる。そうすれば、「無理数」の不思議さも
実感でき、数学の神秘に触れられる。
先入観的には、「なんだって、ジャズ・ピアニストの人がこういう発言なの?」
と思ったりしてしまうところですが、
中島さんは高校時代に国際数学オリンピックで金メダルを獲得し、
東大の数学科を卒業した方でありました。
ここで「へえ~」と思うのは数学オリンピックの金メダルでなくて(それも凄いですが)、
「ゆとり教育のなんたるか」というところ。
とかく結果として悪く言われる「ゆとり教育」ですけれど、言葉のマジックのようなもので、
「ゆとり教育」というのは、「ゆとりをもって充分に教育すること」ではなくって、
「ゆとりを持たせるために、充分時間をかけて教育しないこと」だったわけですね。
今までも「なんかヘンだよなぁ」と思ってたことが、いまさらですが、ストンと落ちた気分です。
しかしまあ、実際に生徒を前にして、
「円周率は3です」と言わなくてはならなかった数学の先生の思いたるや、
どんなものでありましたでしょうか。
それでも、国が決めたことと割り切ってしまえば(割り切れればですが)、
テストの採点なんかはかなり楽になって、先生にもゆとりが…
でもないすかね。
反面、本来の字義どおりと思われる「ゆとり教育」を実践しようとすると、教師は大変でしょうね、きっと。
全ての先生に当てはまらないにしても、
通り一遍に教科書をさらうだけでは「数学の神秘」もその他の教科が意味するものも、
生徒に触れさせることはできないでしょうから。
前にもコラムを引用したことのある廻由美子さん。
こちらは、クラシックのピアニストですけれど、エッセイにこんな一文が出てきました。
ワクワクするような想像力が先生側にないことが問題なのである。
単刀直入にズバッと斬りこんだ恰好ですね。
これは、ウィンストン・チャーチルが学生の頃にラテン語の授業で躓いたというエピソードに対して、
「そりゃあ、先生の側が良くない!」と述べた一節です。
エピソードそのものも面白いのですけれど、
あまりに長くなるのでここでは端折らせていただいて、
ここでは「想像力」に着目ですね。
子供の想像力は豊かなものですよね。
大人ならば、これまで身に着けた常識やら何やらで「そんなバカな!」と思ってしまうところを
そうしたことにとらわれない自由さで、子供は想像をめぐらすことができます。
怖い想像なんていうのもありはするものの、
基本的には想像は楽しい方へ、楽しいからこそもっともっととなるわけでして、
この正のスパイラル?に子供を乗っけるには、教える側も同じような土俵に立つことが必要で、
そうなれば、勉強というものでさえ、スパイラルに巻き上げられて上昇していくのではと思うのですね。
それだけに、教師というのは大変な仕事ではありましょうね。
そうだとしても、「円周率は3」と教えることにどんな意味があるのだろうと、
それこそ想像していただけてたら、「ゆとり教育」という言葉のマジックに踊らされてしまった数年の
(ゆとり教育の弊害とまで言われてしまう)年代を生まずに済んだかもしれません。
TVで取り上げられたりする、さまざまな授業の工夫。
こうしたことを考えることは苦労が多いとは思いますけれど、
教師の皆さまには頑張っていただきたいものです。
といってしまったものの、教員まかせばかりでなくって、
親の接し方、関わり方もかなり(陰に陽に)影響ありですから、こちらも頑張れ!ですね。