どうもウィーンで数々の美術品を目の当たりにしてきたせいか(?)、

帰国後はとんと美術館に赴くことがなかったのですけれど、
近所でやってる気になる展覧会の終わりが近づいてきたこともあって、出かけてみたのでありました。

東京・府中市美術館で開催中の「ターナーから印象派へ ― 光の中の自然」展です。


「ターナーから印象派へ ― 光の中の自然」展@府中市美術館


これは、昨年7月以降、豊橋、岡山と巡回してこちらにやってきましたので、
すでにご覧になった方も多いことでありましょう。


ところで、この「ターナーから印象派へ」というタイトル。
ターナーの画風を思い起こせば、

すぐさま印象派へのつながりにピンとくるような分かりやすさを示していますけれど、
両者を直接に結びつけるのでは、あまりにショートカットに過ぎるということなのでしょうか、
7つの章立てで構成されています。

Ⅰ 純粋風景主題と自然

Ⅱ 海、川、湖、そして岸辺の風物

Ⅲ 旅人

Ⅳ 仕事と風景-人、動物、農耕

Ⅴ 人のいる風景

Ⅵ 建物のある風景-建築物と土地の景観図

Ⅶ フランスの風景画

どうですかね?
「光の中の自然」と謳われたときに思い描くイメージとは、ちとカテゴライズが噛み合っていないような…。


本邦初公開を含む作品の数々には、見るべきものがたくさんありましたけれど、
どうもごった煮的な雰囲気の展覧会となったのは、そんな噛み合わなさ故かもしれませんね。
とまれ、印象に残った作品に触れておこうかなと。


最初に多く展示されていたのは水彩画。
例えば、ジョン・ブレット描くところの「幹」(1850年代初期)の木肌から

思い出されるアンドリュー・ワイエス を引き合いに出すまでもなく、

水彩画が想像以上に多様な表現を見せてくれると気付かされたのは比較的最近なのですね。


ターナー の水彩4点を中心に、ジョージ・クラウセンの「雨の日」(1886年)の雲などは
「ターナーに影響されたんだろうなあ」と思われる作品がある一方、
ウィリアム・ヘンリー・ハントの絵からは非常に細密で色彩豊かなさまが見られます。


ウィリアム・ヘンリー・ハント「イワヒバリの巣」


「鳥の巣のハント」とも呼ばれたというだけに「イワヒバリの巣」は図鑑の挿絵のようですね。
(この言い方は褒め言葉にならないのかな…) 


またエドワード・ダルジールの「夕空の川景色」は、手法こそ全く異なるものの、色合いでは
シニャック を思わせると同時に、平山郁夫 ?とも思ったり。

そんな水彩群の中にあって、大きめの油彩画は目立ちます。


ジョン・エヴァレット・ミレイ の「グレン・バーナム」(1891年)。
林間の雪道をひとり行く老婦の後姿からは、なにやら物語りが立ち上ってくるようです。


ジョン・エヴァレット・ミレイ「グレン・バーナム」


仮に老婦の姿なかりせば…とも考えて、画面を手で隠して見てみたりしましたけれど、
これはこれで雪道の風景画なんだけれど…とは思いながらも、
どうも風景画とは一線を画した絵なんではないかと思えてくるのでありました。

と、この辺ですでに「光の中の自然?だっけ?」と思い始めてるんですね。


そのついでに、あんまり章立てにきちんと従うんでなくて、印象に残ったことを中心にしてしまいますが、
そういうことであれば、なんといってもジョージ・クラウセンの1881年の作品「春の朝」は
先に「ヴィクトリア朝万華鏡」 を読んだこともあって、とても惹かれる作品でした。


ジョージ・クラウセン「春の朝」


左に上品なレディと着飾った女の子、右には道路工事の工夫たちといった、

当時の社会階層が見て取れる題材に、

ラファエル前派 とは異なるヴィクトリア朝絵画を見る思いがしたものです。


また、この場所がユーストン駅の脇を抜けハムステッドへのびる緩やかな上り坂の道と聞き及んでは、
今ではケンウッドハウス のあるハムステッド・ヒースまで

ダブルデッカーのバスが通る道になっていることを思い出し、この工事夫たちのおかげかなと思ったり。


ところで、認識不足だったなあと感じましたのは、ジョージ・フレデリック・ワッツ の一枚です。
ネス湖の風景を描いた、まさにタイトルも「ネス湖」という1899年頃の作品ですけれど、
ワッツに風景画家の一面があったというのみならず、

この作品にはかなり愛着を抱いて決して売ろうとしなかったということに「へえ~」と思ったものです。


ジョージ・フレデリック・ワッツ「ネス湖」


湖水から朧に沸き立った空気は空と一体化していて、

穏やかなターナーとも受けとめたくなるところでした。


そしてもう一枚だけピックアップするとすれば、
ギュスターヴ・ロワゾーの「ポール=マルリ近くのセーヌ川 」(1903年)でしょうか。
この独特な色調はじっくりと眺めていたいものですね。


ということで、展覧会の構成に少々余計なことを言ってしまいましたけれど、
久しぶりに出向いた美術館は、それはそれでとても心豊かになるひとときだったわけです。


そして、そこでお目にかかった作品たちは特段有名なところの所蔵ではないのでして、
いやはや困ったことに、こうした細かな美術館探訪も捨てがたいと思い始めてしまうわけなのでありました。

ちなみに、そんなところのひとつ、Bury Art gallery を備忘のためにもリンクしておきましょうかね。