ああ、まだまだ世界には満足に食事のできない子供たちがいるというのに…。
という方が、食欲抑制の呪文 としてはいいかもしれませんけれど、
身体のことを考えたらば、食欲の点だけでなしに運動不足も解消せねばなりません。
そこで、お手軽な運動がわりに自転車で20㎞ほどのサイクリング。
行ってみたのは、多磨霊園でありました。
行ったついでに何かしらのインスピレーションでもいただけないかと思いまして。
実際足を踏み入れてみますと、地図で見る以上に広いところだったのですね。
管理事務所のある辺りから入れば、もしかするとどこいら辺にどんな方の墓所があるのか、
案内図のようなものがあったのでしょうか。
全貌をつかめぬままに入り込んだのでありました。
ただ、歴史上有名な人たちの墓所であることは間違いないので、
きょろきょろしていればそのうちに誰かしらのお墓にぶつかるだろうと思っていましたら、
まず出くわしたのがこの二人。
平沼騏一郎と斎藤実。
それぞれ第35代内閣総理大臣(1939年1月-8月)と第30代内閣総理大臣(1932-1934)。
ともに太平洋戦争 前夜の大事な時期に内閣首班を務めるも、
斎藤は陸軍の圧力に屈して満州国を認め、
平沼は反目しあう独ソが不可侵条約を結んだことに唖然とし、「欧州情勢、複雑怪奇」として退陣。
その後の歴史はご存知のとおり。
平沼がまるで一般人の墓のような趣きであるのに比して、
斎藤の墓石には「従一位大勲位子爵」と彫られ、いささかいかめしいですね。
近くには、さらに大仰な感じで隣あった墓所が。
片や東郷平八郎
、片や山本五十六。
時代が違うとはいえ、連合艦隊司令長官が並んで葬られているというのは、
どうしたことでありましょうね。
でも、たまたまにしては何でかこう戦争を想起させる人たちなんでしょ。
巡るうちには、だんだんとその辺りから脱することにして、次の二人です。
左が二・二六事件で暗殺された高橋是清、
右は福沢諭吉の養子で明治期、数々の起業に携わった福沢桃介ですね。
いささか戦争から金融、実業の分野に移ってきたところで、今日の墓所巡りの最後はこちらです。
墓石に刻まれた文字が見えるように、少し大き目に載せてみました。
I for Japan,
Japan for the World,
The World for Christ,
And All for God.
明治期の思想家・内村鑑三の墓碑です。
エピタフですから、内村個人のことも「I for Japan」のように書かれていますし、
キリスト教的なところは致し方ないのでありましょうけれど、
それでもここに至るまで、動乱の時代に直接的に関与した人に多く出くわしたものですから、
改めてこうした言葉に触れると、一般論的な考え方としてこのようにあらば、
「戦争にまでなったろうか…」と思ってしまったりするところでありますね。
ところで、この多磨霊園には文学者なども多く葬られているということですので、
インスピレーションをいただくには、も少し下調べして臨むべきであったかなと。
ま、折をみつけてまた運動がてら行ってみようかと思うのでありました。






