メンデルスゾーン一族は、文化界におけるロスチャイルド家だといってよい。
高名な銀行家一族同様、ゲットーから身を起こしたこの一家は、十八、十九世紀を代表するドイツ系ユダヤ人家系のひとつとなり、その影響力と子孫を世界中に広げたのである。
ロスチャイルド家と同じように、この一族の理財に対する眼識は広く知られるところであり、彼らが
設立したメンデルスゾーン銀行は、1939年に閉鎖されるまで、ベルリンにおける主要民間銀行
として有名であった。
これは「メンデルスゾーン家の人々」という本の序に記された言葉なのですね。
ユダヤ系一族の興亡史のような点でまさにロスチャイルド家
と対比して、
歴史上もう少し多く語られていいのかもしれません。
ロスチャイルド家の祖と言われるマイヤー・アムシェルが1743年生まれで、
一方、メンデルスゾーン家の祖とされるモーゼスは1729年生まれですから、
後世から見れば、まあ同世代と言えましょうか。
当時のユダヤ人に姓はなく、マイヤー・アムシェルが「赤い盾(ロートシルト)」の屋号を以って
姓に代えたことは先に書きましたけれど、モーゼスも同様で、
父親がメンデルという名前であったことから
「メンデルの息子(メンデルスゾーン)」を姓代わりに使い始めます。
マイヤー・アムシェルはフランクフルトに出た当初から商売で身を起こしますけれど、
モーゼス・メンデルスゾーンの方はゲットーにいてはもはや学ぶことがないと、
ベルリンに出て学問に励むことになります。
ドイツばかりでなくヨーロッパ中にもその名が知られるほどの学識を身につけたことで、
レッシングはその交友を通じて戯曲「賢者ナータン」をモーゼスのイメージから創作し、
またカントなどとも交流があったと言います。
次代のヨーゼフとアブラハムは一転、銀行を起こして財を成し、一族の繁栄に寄与するわけですが、
ナポレオンの大陸封鎖令に際して、むしろ愛国的行為としての不法交易を行っていたあたりは、
ロスチャイルド家と同じ臨み方であったようです。
ただ、モーゼスの該博な知識を受けてか、ディレッタント的関わりで
一族の周囲には文化的な要素が溢れていたようなのですね。
こうした背景の中で、フェリックス・メンデルスゾーンはアブラハムの長男として、1809年に誕生します。
ユダヤ人に対する軽侮は、モーゼスの時代、
彼の学術上の成果に対する尊敬で何とかかわしていたものの、
アブラハムの代になって、商売をする点においては大きな妨げにもなったでしょうし、
先々のことを考えると苦渋の選択としてキリスト教改宗が現前する問題として浮上したようです。
これには、一族のうちで先に改宗していた者が熱心に改宗を迫るという、
宗教で想起されそうなこともあったようですが。
アブラハムは先にフェリックスを含む子供たちを改宗させ、
その後自分たちもルーテル派に改宗することになります。
そこで登場するのが、バルトルディという姓?なのですね。
先に書きましたように、
メンデルゾーンというのは「メンデルの息子」ということであって、本来姓ではありませんし、
このような姓の付け方をしていること自体は、ユダヤ人と名乗っているも同然なわけですね。
で、バルトルディですが、それ自体に何らか意味があるのでしょうけれど、
メンデルスゾーン家にとって特段の意図を思わせるようなものではないようです。
アブラハムの妻となったレア・ザロモンの兄ヤコブ・ザロモンは、
広く親戚を見渡せば必ず一人はいる妙なおじさんタイプだったらしく変わり者で、
一人でさっさとプロテスタントに改宗し、これまた勝手にバルトルディと名乗っていたらしい。
で、妹のレアを通じて、アブラハムにも改宗を迫ると同時に、
改宗したら「どうぞ遠慮なく、バルトルディをお使いなさい」てな具合。
こんな事情を知ってか知らずか、フェリックス始め子供たちもバルトルディと姓をちいとも好まず、
むしろユダヤ人であるのと意識をつねに心の底に持ち続けることにもなったようなのですね。
こうしたことは、フェリックスのパリ
嫌いにも影を落としているようです。
1830年代、パリの音楽界ではジャコモ・マイヤベーアが幅を利かせていた時期ですけれど、
ジャコモとはいうものの、本来ヤコブという名前のドイツ系ユダヤ人であって、
裕福な銀行家の家系とあっては、フェリックス・メンデルスゾーンと似たような出自なのですね。
ところが、マイヤベーアは(意図は不明ながら)終生ユダヤ教を捨てることがなかった。
これがフェリックスには、自分の弱みを見せつけれらる思いであったわけです。
もちろん、生真面目なフェリックスにはパリの浮ついた雰囲気になじめなかったようでもありますけれど。
同様に、フェリックスには1830年当時のウィーン
もお気に召さなかったとか。
本書にはこんなふうに書かれています。
ウィーンでは、フンメル、フィールド、カルクブレンナーらの音楽を人々が愛好する結果、
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの音楽が、軽視されているのを悲しく思った。
ウィーンについて彼は「不真面目なごみ捨て場だ」と書いている。
ウィーンがお気に召さなかった点ではショパン も同じで、
たしか音楽嗜好に深みがないことを挙げていたように思います。
もっとも、ショパンの方はその後、パリにどっぷり浸ってしまったわけですが。
ということで、フェリックスが一番気に入って、かつ足しげく出張っていったのはロンドン
なのですね。
ヘンデル
、ハイドン
に連なる偉大な音楽家として、ロンドンの聴衆、王侯貴族までもが
フェリックス・メンデルスゾーンを大喝采で迎えたようです。
これは、なまじ自国の作曲家が育たなかったがために、音楽に対して貪欲になっていて、
当時の新しい音楽に眉を顰めたりすることなく、受け入れていったからではないでしょうかね。
とまあこうして、メンデルスゾーン家も確実にひと時代を画する一族となっていったのですが、
惜しむらくは早死が多かったようです。(遺伝的な脳血管の細さなんつうこともいわれますが)
それに、銀行業の方もロスチャイルドのように早くから多国籍化していったことに比べ、
結局はドイツの体制の変化の中で消滅していってしまうという。
今でもロスチャイルド家は何かと話題に出ることがある反面、
メンデルスゾーンというと作曲家フェリックスひとりが思い出されるくらいになってしまっていますね。
それでも、本書の序にあったように学問領域では
散発的に末裔の活躍が報じられたりすることがあるようです。
そして産業面では、現在に続く企業でもあるAGFAを
フェリックスの次男で科学者となったパウルが創設したということなのですが、
同社の社史のページには全く名前が見当たらない。
一族の興亡はそれぞれ…というわけですが、方やマイアベーアの銀行の方はどうなったのか、
これも興味あるところではありますね。
