先に立川談春のCD
を貸してくれた同僚から借りた別の2枚のCD。
方や立川志らくという「今」の人であり、方や五代目柳家小さんという往年の名人であったわけですが、
奇しくも同じ「時そば」というネタが収録されていて、思いもよらぬ聴き比べとなったのでありました。
この「時そば」という落語は、おそらく落語を聞かない(見ない?)方でも知っている人が多いのではと
思われるほどに有名な一編でして、そばを食って銭を払うときに数えながら渡す途中で
「なんどきだい?」と時刻を尋ねて一文ごまかすという手口を脇で見ていて、真似をしたところが
しくじって余計に払うことになる…という噺なわけですね。
もはやクラシックの名曲みたいなもので、始まりから終わりまでメロディを口ずさめるけれど、
解釈の妙を聴き比べてみるとしますか、というのとおんなじです。
まずは立川志らくでありますけれど、
これは談春の著書「赤めだか 」でも変わり者ぶり(?)が紹介されてました。
初めて聞いたんですが、その口の廻りの速いこと。まるで速射砲のごとし。
年齢のせいもあってか、付いて行くのに疲れを感じるどころか、
時々は噺を流れのままに聞いている気になってしまうという。
落ちは知っているから、多少聞き飛ばしてもいいやってなものなわけです。
時折混じるくすぐりも今風といいましょうか、
振り分け屋台のそば屋が舞台ってえことは江戸時代を前提にしながら、
笑いを取ることに主眼が置かれているということでしょうかね。
「時そば」を演じるにあたっての志らくの「独り言」です。(CDのライナーより)
そばの食い方なんて二の次だよ。マルセル・マルソーを見れる時代だ、どんなにリアリティを追求したってたかが知れている、そばの食い方なんぞねえ。なぜに主人公は銭を一文かすめた奴の真似をしたかったのか?ゲーム?違うな、勿論、一文得してそばを食いたかったからでもない。流行、そう、彼には銭をかすめた男がかっこよく見えたのだ。だから男の行動を追ったに違いない。「時そば」は流行にすぐさま飛び付く現代人のカリカチュアと言ったら大袈裟であろうか?
一方、小さんの語り口は実にゆるりとしたもの。
だから退屈するかってえと、そのゆるり具合に聞き耳を立ててしまうんですな。
しかも、江戸の夜道が情景として浮かびあがるようなのですよ。
そして、志らくが二の次だと言っているそばの食い方が、聞いてる方までそばを食いたくなるという。
CDですのではっきりとは分からないながら、しぐさで見せるところが多々あるのでしょう、
言葉のない部分でしきりに笑いが起こるわけです。
すでに書き方からして、小さん贔屓は一目瞭然かもしれませんけれど、こればかりは好みの問題。
ただ、志らくの言うように、真似をした男というのが「銭をかすめた男がかっこよく見えた」から真似たんだということがより分かるのは小さんの方なんですよね。
「かっこいい」というより「粋」に見えたわけで、
残念ながら速射砲の語り口からとても「粋」は出てこないなと思うのでありました。

