Pasqualatihaus のベートーヴェンで思い出しましたが、

ベートーヴェン がバレエ音楽「プロメテウスの創造物 」の終曲のテーマを

「エロイカ」の終楽章に転用したことに触れたあと、

しばし手持ちの「エロイカ」を聴いてみたりしていたのですね。

その辺のことを書いちゃいましょう。


今となっては発端が思い出せないながら、一時期「エロイカ」に凝りまくり、
とにかく「エロイカ」のCDを見かけるたびに買いまくっていたことがあって、
(といっても、新譜ででたものをということでなく、古いものや珍奇な?ものということですが)
今や手元にあるものの中では、「エロイカ」が(質はともあれ)量では最多なんではないでしょうかね。


例えば…カラヤン 、ベーム、バーンスタイン 、フルトヴェングラー、ワルター、クレンペラー、

メンゲルベルク、トスカニーニ 、コンヴィチュニー、ライナー、セル、モントゥー、ジュリーニ、

ノリントン、マッケラスクリュイタンスケンペ …と挙げだすとキリがないので、

CDの枚数で言いますと30枚以上あるんではないかと思われますね。
「エロイカ」だけで。


という諸々の中にはいくつかの気になる演奏があるわけですが、
エーリヒ・クライバーがウィーン・フィルを振ったものが結構気に入っているのですよ。


エーリヒ・クライバー「エロイカ」


クライバーといえば、どうしても息子のカルロスのカリスマぶりが目立ってしまいますけれど、
父親の方もどうしてどうして、素晴らしい演奏を多々聴かせてくれるわけです。
以前、モーツァルト・オペラの激安ボックスセット を紹介しましたけれど、

その中の「フィガロの結婚」なんかも素敵ですねえ。


とはいうものの、ナチスの台頭にあたり1935年と早い時期にドイツを去って、

南米アルゼンチンに移住したこともあり、
またレコードがステレオ録音に移行する以前の1956年に亡くなってしまったものですから、
同時代の大御所指揮者に比べて陰が薄くなっているきらいがあります。


ところが、演奏会情報誌の「ぶらあぼ」だったかに音楽評論家の舩木篤也さんが、
カルロス・クライバーを振り返ってこんなことを書いていました。

楽曲の読みの決定的な部分を、息子(カルロス)はやはり父(エーリヒ)から引き継いだのではなかろうか。彼はそのことを自覚していただろう。自分の仕事が、天才のひらめきに発したものではないことを。最晩年に及んでさえ、「父より良いものができるとは思わないから」と言って、録音を断るような人である。

ここから見る父親理解を、一般人がカルロスと同じように捉えるものではないとは思いますけれど、
あれだけ世間を騒がせた(いろんな意味で)カルロス・クライバーが

晩年になっても父を越えられないと考えていたとは
「いったいどれほどすごい父親であったことか」と思わずにはいられないわけです。


ただ、つねに頭の上に父親を戴いている限りは、

ある意味で「いつまでも子供でいられる」というエクスキューズを含ませることができるわけで、

意図するかせざるかに関わらず、もしかするとカルロス・クライバーという人も
ピーター・パン 」だったのかもしれませんね。


ウィーンのオペラ座博物館 の手紙にあったように?演奏会のドタキャンやらなにやら、

いつまでも駄々っ子だったという証しかもしれません。
生み出される音楽は、魅力的でしたけれど。