この間もちょっと引いた角川書店のPR誌「本の旅人 」ですけれど、
やはりその中に鷹見一幸さんという小説家のコラムがありまして、こんなことを書いておりました。

…なぜなら、教えを請われて、嫌な気分になる人はいないからである。人間というのは基本的に教えたがりなのだ。

本当にそのとおりと思えるわけではありませんけれど、

後段の「人間は基本的に教えたがり」の部分には「そうかもね」と思えるところがないではありません。
すべからく人間は「教えたがり」というよりも、歳を重ねるごとにそうなっていくものかもしれませんね。


「生涯学習」という言葉はもはや定着しているものでしょうけれど、
リカレント教育なんつう言葉も聞かれるようになってます。
この面だけ見ると、たくさんの人が「学びたがっているではないか!」となりますが、
確かに各種の講習会、セミナー、研修、講座の類には、常にかなりの年齢の方々が見受けられます。


で、熱心に聴いているのかなと思うと、あっちでこっくり、そっちでこっくり。
まあ、年齢が年齢だからしょうがないかとも思っていると、
質疑の時間に俄然張り切りだすという不思議さ。


意欲的といえないことはありませんけれど、どうも質問ではないのですね。
意見ですね、おもいっきり。しかも、長い。
他の人のことなど、およそ考えていないようです。


要するに、聞きにくる、学びに来るというよりも、
「あんたの言うことは分かったが、俺はこう思う」「私の経験から言えば…」

といったことをどうやら教えてくれちゃおうとしているかのようです。
望まれていないんですがねえ…。


てなことを思い出して、「教えたがり」という部分に反応してしまったわけですね。
ただ、「亀の甲より歳の功」ということもありましょうから、
何らかの講義の場で意見を長々述べるのではない「場」の設定のようなものがあれば、
言う立場と聞く立場のミスマッチが無くなるようにも思います。


小学校あたりで、「親の職業」に関して学習するようなことがあったりするかもしれないですが、
小学生の親世代は忙しい最中でしょうから、

も一つ世代を飛び越えて、地域の定年後の人たちに「どんな仕事をどんなふうにやってきたか」を

語ってもらえば、きっと得々として語ってもらえるでしょうし、
子供たちに「いろんな職業があるものだ」とも受け止めてもらえるかも…ですしね。


ま、実際やってるところもあるかもしれませんが、語り手の方が勢いだけあって、
話にまとまりがないような場合、先生方がどのようにうまく進行させているのか、
そのあたりも見ものなような気がしますね。

うまい具合に、貴重な体験談を引き出すような形になるとよいですね。