怪談噺創作の祖ともいえる三遊亭円朝ゆかりの「円朝祭」・・・柳家喬太郎師匠は円朝作の「死神」を披露されました。実はこの「死神」、グリム童話の「死神の名付け親」という作品を明治時代に円朝が翻案した演目だそうです。
落語の元話がグリム童話
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こうした一文に接してしまったからには、俄然好奇心が疼くわけですね。
さっそくに図書館で、グリム童話と落語の本を借り出してきました。
ひとつは、白水社刊の「初版グリム童話集2」。
もひとつは、三一書房刊の「古典落語大系 第2巻」 。
まずは原典というべきグリム童話の「死神の名付け親」です。
十二人もの子宝に恵まれた夫婦の間に、恵まれすぎなのか十三人目が生まれ、途方にくれた男が森に入ってまいりますと、現れたのは神様。
神様がその子の洗礼に立ち会って、名付け親になってやろうという有り難い申し出をしますが、
男は、神様が「金持ちには与え、貧乏人にはひもじい思いをさせる」として、申し出を断ってしまうんですんなぁ。
そいでもって、男がいっそう森に分け入りますと、次に現れたのはあろうことか死神なんですな。
死神が神様とおんなじ申し出をいたしますってえと、この男、「あんたは分けへだてなく、金持ちも貧乏人も連れて行く」ところが気に入ったてえんで、死神に名付け親をお願いいたしました。すると、死神は「その子を医者にしなさい」と言い残していっちまったわけです。
死神に名付け親になってもらった子どもがなんとか大きくなりまして、森へへえってまいりますってえと、またまた死神が現れて、「こうすりゃ、うまくいく」と医者の要領を伝授します。病人を診るってえときに、その死神さんが足の方に立っていたら「どんなに手を尽くしてもだめ」、逆に頭の方に立っていたらば、「この瓶の薬り足に塗ってやれば、ケロリと直る」とまあ、そんな具合。
この直るときのケロリが利いたのか、名医の噂がたちまちに広まって、王女さまの病気を見るてなことになってしまいました。見ると、死神は王女さまの足のところに立っているってんですから、こりゃもはや手遅れというものでございますが、この王女さまというのが別嬪なんてえもんじゃなかったのがいけない。死神のすきをついて、王女さまの体を「えいっ」とばかりに一回転。こうなりゃ、死神は足じゃあなくって、頭の方にいるというわけで、そそくさと薬を王女さまに塗ってしまったんですなあ。
怒ったのは、死神です。「死神をこけにするなんざあ、ふてえ野郎だ」と、医者を地下の穴倉に連れ込みますってえと、そこではたくさんのろうそくが灯っておりました。
「ほおれ、見てみろ!これが人間の命ってやつだ。ここで、燃え尽きそうになってるのが、おまえさんのだぜ」
ストーリーをお伝えしようとして、すでに落語口調になってしまいました。
(これは、グリム童話集からの引用ではありません。josh再話ですので、念のため)
ということで、これがグリム童話初版のお話。
第二版以降では、最後のところで怒った死神が医者のろうそくをわざとひっくり返して、
一巻のお終いというふうに変わったようです。
とまあ、そういう話をさあて三遊亭円朝はどう料理して、落語の「死神」にしたのでしょう。
話の設定は、子沢山というより金欠の家に子どもが生まれるというところから。
なんでも名付け親を頼むには礼金として三両が必要ということで、
かみさんにどやしつけられて、亭主が金策に出かけることになりますが、
身の不幸を「死神にでも取り付かれてんじゃねえかな」とひとりごちたところ、
「呼んだかい」と死神が現れるという流れなのですね。
そして、医者になるのは子どもじゃなくって、その亭主自身というのも工夫のひとつかと。
医者の要領などはグリム童話とそっくりですが、はなっから金の話で始まってますので、
直せないはずの患者をひっくり返して直してしまうのは、
三千両という大金に目がくらんだ結果ということに。
怒った死神はやはりろうそくの灯る場所へ連れていき、
燃え尽きそうなろうそくを「おまえの命」というあたりもおんなじですけれど、
決定的な違いは「下げ」の部分。
このままでは命が尽きてしまうと嘆く医者に、
「ほかのろうそくをおまえのにうまく継げたら、助かるぞ」と唆すわけです。
こりゃありがたいと、医者はなんとか自分のろうそくに継ごうとするのですが、下げのひと言はこうです。
「(ふるえる手でつごうとして)ああ、きえる」
グリム童話の方では、死神相手ではありますが、
約束を違えた者に罰が下るというお話になっています。
ところが、円朝版では最後の際まで同じように展開しながら、
最後の最後、生き延びるオプションが提示されるわけですが、
これが「自分が生き残るために、他の誰かを犠牲にせよ」ということなのですね。
ありがたいと思ったのも束の間、その事実に気がつけば手が震える道理というもの。
揺れる心が手に伝わって、自分の命を自分で消してしまう・・・。
話の終わりとしては、実に見事だなと思うのですね。
ここに来て、話が「完成」されたというような。
これが、落語かと思える深みを出しているわけですが、
途中はおかみさんとのやりとりや大店の病人を知らせにくる竹さんとのやりとり、
そして冒頭の死神とのやりとりでも落語ならではの笑いが詰まっているものですから、
これが実演でならどんなふうかなと想像してしつつも、
こういう見事な翻案もあったのだなあと思うのでありました。
