空想旅行でイギリスからブルターニュ に渡り、
その後フランスを旅してまわっている(つもりになってる)ところで、
今さらながらに「ブルターニュ」という言葉が「ブリタニア」のことであると知るに及んで、
「そうかぁ、だからブルターニュはケルト文化圏だったりするんだぁね」と思ったりしているところです。
フランスの(つもり)旅がオルレアンやらルーアン といった
ジャンヌ・ダルク所縁の場所を訪ねたりしてもいますので、
ここらで史上有名な「百年戦争」をおさらいしとこうかと思ったわけです。
手に取ったのは小説家・佐藤賢一さんが紐解いた「英仏百年戦争」。
教科書的に言えば、
1337年から1453年までの116年にわたって断続的に英仏間で戦われた戦争!ということであって、
最初のうちこそイギリス軍が優勢なるも、最後にはジャンヌ・ダルクが突然現れて敵を蹴散らし、
フランス軍の大勝利で終わるてなことになるわけですが、
そんな通り一遍のお話ではない!と作者が展開するのは
「目からうろこが落ちる」とはこのことかと思える「なるほど話」なのでありました。
まずもって、「平均的なイギリス人の認識ではイギリスの勝利で幕を下ろしているのだ」
という指摘に始まります。
いくら大英帝国だからって、歴史をそんな都合よく、変えていいもんでしょうか、ああた!
ではありますが、とにかく長い年月にわたる諍いですから、イギリスが勝ったところで
「もうあの戦いはけりがついたんだけんね」と言ってしまえば、勝ち戦さなわけです。
「だけんど、その後には戦さはあったろうよ」といったところで、
「そりゃあ、おめ、別の戦さだぁ。戦さは勝つときもあれば、負けるときもあるじゃて」
というのがイギリスの理屈ということになりましょうかね。
それでも、あまりに都合よすぎではと思ってしまうところなんですが、「ちょっと待った!」がかかるのは、
そもそも「百年戦争」という命名は後の歴史の中で生まれたものだということなんですね。
当時の人たちには「百年戦争」を戦っているてな意識は全くないわけです。
100年以上も続いてしまったのは、単に結果ですから。
つうことは、三十年戦争も七年戦争もみんな同じじゃんということになりますけれど、
百年戦争は、その長さ故もあって、局面が大きく変化していたりすることが、他の年数戦争と違う点であり、
イギリスが「わしはこう思う」という解釈が許される(?)余地を残す原因になっているようです。
とまあ、いったいいつからいつまでの戦争なんだろう・・・
といったところに解釈の余地ができてしまう百年戦争ですが、
これはイギリス対フランスの戦いであったことは間違いない!
ところが、そういうことでもなさそうなんですなぁ。
そもそもイギリス、すなわちイングランド、スコットランド、ウェールズ、
そして北アイルランドからなる連合王国というものが当時は無かった・・・
てな話だとまやかしになってしまいますので、まあイングランドということにしますけれど、
イングランドの王朝はノルマン朝に始まるみたいなところがあるものの、
これはご存知のとおり大陸側ノルマンディー公ギョームが領土拡大に出張っていっただけのことですね。
つまりイングランド王ではありながら、ノルマンディーに宮廷を構えており、
イングランドは海外植民地というわけです。
その後のイングランド王というのも、みな「自分は大陸側の人間」と思っていて、
事実フランス語しか使ってなかったと。
イングランド国内においても、統治者たちはフランス語、農民は英語ということだったのですね。
こうした意識というのは百年戦争の途中まで続くというのですから、
戦争の前半部分はフランスの内紛にも等しいというわけなのですよ。
イングランド側の意識がこんな具合だったとして、フランス側はどうかというと、実は似たりよったり。
フランス王はいたものの、領主たちの中で少々威勢がいいくらいなもので、
地域地域では「おらが一番!」という領主ばかり。
「フランス?なにそれ?自分の領地が大事なの」という状況では、
とても「フランスという国がありました」と言えるものでもないということになってしまいます。
本来、大陸側に領土を持ち、イギリスをも手中にしていた覇権が戦いの中で、大陸から追い落とされ、
イングランドのみを領地とするようになった頃から「イングランドという国」の意識が生まれ始める・・・
つまり、百年戦争は英仏間で戦われたのでなく、
百年戦争が英仏の国家意識を結果的に導いたともなったくるという。
いやあ、歴史というのも探究すると、面白いものですよねえ。
