先にヘンデル・ハウス・ミュージアム のことにも触れましたし、
何より今年はヘンデルの没後250年ですから、
ちょっとヘンデルの生涯を探究してみようと思ったのでありました。
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルは、1685年2月23日にザクセンのハレに生まれ。
一方、バッハはといえば、そのひと月後にハレからさほど遠からぬアイゼナハで生まれていますから、
まさに同時代人。ところが、一生の間ドイツから外に出たことがないバッハに対して、
ヘンデルは若い頃には間イタリアで当時最新の音楽を身に付け、
また後半生をロンドンで送ったという国際人ですから、
18世紀当時にはヘンデルの方が圧倒的に有名であったのも、まあ当然といえば当然。
ところで、そんなバッハとヘンデルですけれど、
バッハが職を求めてドイツ国内をあっちへ行ったりこっちへ行ったりした のとはうってかわって
ヘンデルの場合には、要所要所で「人脈」が大いに味方をしてくれたようです。
ヘンデルは幼い頃から楽才を現したものの、
息子を法律家にしようと考えていた父親によって音楽から遠ざけられてしまいます。
そのため夜中にべッドを抜け出して屋根裏のクラヴィーアを弾きまくっていたという
逸話が残されたりしているようですが、
ザクセン大公仕えの外科医であった父親とともに出かけたワイセンフェルスの教会で、
礼拝後に教会のオルガンが弾いていたことが転機となります。
音色に耳をとめたザクセン大公が「息子の音楽修業をさまたげてはならない」と父に命じたという。
お世話になった最初の人脈は、音楽を禁じた父親故のことでありました。
晴れて音楽の道を志すができ、1696年(11歳)には音楽の師であるツァハウに連れられて行った
ベルリンのブランデンブルク選帝侯の宮廷で人気を集め、
宮廷専属の音楽家を打診された(父親、大反対!)と言いますから
もちろん実力のほども大したものではあったようですが。
翌97年に父が亡くなると、ヘンデルにとって職業としての音楽が始まります。
しばらくハレのドム教会オルガン伴奏者の助手を務めていたところ、
もっと広い世界を見たいという若者ならではの希望から1703年(18歳)にハンブルクで出るのですが、
ここのオペラハウスの楽長は、同郷ザクセンの出身ということもあり、
早速に第二ヴァイオリン奏者に採用されるのですね。
作曲の方でも、1705年1月にオペラ「アルミラ」を初演したところ、翌月末までに20回も続演。
ハンブルクでの名声が確定的になりますが、人気が出ると周囲の妬みも生まれるようで、
これに絶えかねてイタリアのフィレンツェに逃れるのが1706年1月。
このときも闇雲に逃げ出したわけではないわけでして、
ハンブルク滞在中に知遇を得ていた音楽好きのジョヴァンニ・ガストネ・デ・メディチ公という人脈あってのこと。
このフィレンツェ滞在の間にローマの枢機卿オットブオーニの知己を得て1707年1月に訪問したローマでは、
枢機卿家の音楽顧問アレッサンドロ・スカルラッティやその息子ドメニコ・スカルラッティと出会い、
生涯の親交を結ぶことになります。なんとも幸運な出会いが続くものですよね。
さらにオットブオーニ繋がりでは、
1709年にハノーファー宮廷楽長アゴスティノ・ステファーニを知ることになりますが、
翌年夏のはじめには、ステファーニの後任としてハノーファー宮廷楽長に迎えられるとあっては、
「運も実力」のうちということになりましょうか。
同年秋の末には初めてロンドンに出かけます。
ここでは言葉に不自由し頼るべき友人もなくとまどったようですけれど、
「芸は身をたすく」というわけで奏者として徐々に注目を集め、
アン女王の御前でチェンバロ演奏を行ったことから、
オペラハウス(ヘイマーケット劇場)の劇場主アーロン・ヒルと知り合い、
その依頼で最初のイギリスオペラ「リナルド」を作曲、
1711年の初演は大変な成功と同時に、女王の厚い信頼までも得るところとなったと。
宮廷楽長のわりにはハノーファーをほとんどお留守にして、
いわば君主ハノーファー公には不義理をしていたわけですが、
1714年8月1日にアン女王が死去すると、
そのハノーファー公エルンストが英国王ジョージ1世として即位してしまいます。
「こりゃ、まずい!」と思ったヘンデルは、
「水上の音楽」を作って新国王のご機嫌をとったとかいう話がありますけれど、
どうやら伝説でしかないようで。
むしろ、ヘンデルが初めてイギリスに来たとき同様に、言葉は分からん、知り合いもおらんと言う中で、
ジョージ1世にとってヘンデルは、そばになくてはならない存在だったかもしれないのですね。
結局、ヘンデルはイギリスに帰化し、1759年4月14日に死去してウエストミンスター寺院に葬られるまで、
イギリスの大作曲家ジョージ・フレデリック・ハンドルとして生涯を送るのですね。
若い頃から円熟期までオペラを作曲し続け、その上演にも力をつくした結果として、
オペラ・カンパニーの経営破綻に陥ったりした苦難の時期もありましたけれど、
晩年にはオラトリオに活路を見出し、
イギリスの音楽家として名実ともに「パーセルの後継者」の役割を担ったようです。
芸に身をたすけられつつ、時には運も味方につけながら築いた人脈をたどって、めぐり会ったロンドンの地。
ウエストミンスターの地下では、さぞ安らかに眠っているのではないでしょうか。
さあ、それではヘンデルの本業、オペラの世界にも分け入ってみるとしましょうか。
ところで何から聴いたらいいかな…。