カバー裏の紹介に曰く、
街やインテリアのたしかなディテールに支えられつつ、一人称単数を削ぎ落とした文体から、変容する都市風景と人間関係、溶けていく「わたし」の身体感覚、日常のなかの「エピファニー」があざやかに描き出された全10編。
というわけで、なにやら面白そうだな…と思ってしまったわけですけれど、
ところでいったい「エピファニー」ってなんだぁ?と、
恥ずかしながら検索しますとキリスト教関係の用語で、「公現祭」のことだそうで…。
「公現祭」というのは、主イエスがその神性を「公に現す」ことだそうなんですが、
カトリックや正教会でそれぞれに祝日としていながら、祝ういわれが異なっているんだそうですよ。
と、調べてみたものの、小説とのかかわりはいまだピンときませんが、さらにあれこれすると、
どうやらジェームズ・ジョイスが独自の解釈で「エピファニー」という言葉を使っているようですね。
「(イエスが神であるといった本質が露わになったように)ものごとの本質を露わにするような話」を
エピファニーと呼んだのだそうです。
きっと、「ジョイスの「エピファニー」を知っている人に読んでもらえればいいけんね」と、
ちとタカビーな雰囲気を醸していることがわかったわけなのでした。
ただ、よおく考えてみると、「人間の本質が露わになってしまうような話」、それが小説なんでないの?
と思ったりもしてしまいましたが・・・。
まあ、読んでみると、さほど大げさは話ではなくて、
溶けていく「わたし」というのがよく分かるものなのですね。
「日常」という実はとっても大きな、そして漠然としたものの中で、わたしたちは溶けていくわけです。
よくある既視感と、そしてその逆の感覚(来たことあるのに、知らない風景とか…)みたいなものに取り巻かれて、
一瞬「あら?」とか思うものの…。
「随時見学可」といった少々お茶ら気感のあるタイトルであるが故に、
とおりいっぺんの読み方で臨むと、とてもその本質には追い付かないのかもしれない…
ということで、見た目ソフトで実はやっぱり「タカビー」なものであったかもしれませんね。
(タカビー、タカビーと失礼しました。読み手の文化度が低いだけでありました…)
