お待ちかねの展覧会がようやく名古屋から巡回してきました。
「奇想の王国 だまし絵」展@Bunkamuraザ・ミュージアム
です。
何もあるはずのない壁に食器棚が設えられて、いろいろな品物が置いてあったり・・・というトロンプルイユ。
「だまし絵」であることは間違いないながらも、今や額装されて美術館に飾られるとなると、
本来のだましの実用には供されることなく、騙せるくらいに見事な静物画ということになってしまっているわけですね。
考えてみると、「だまし絵」自体というか作者本人というか、もはや本来の価値は失われてしまったか・・・
嘆いているかもしれないということに、ふと思いあたってしまいました。
騙されてこその「だまし絵」なのですから。
そう考えてしまうと、見る側にとって騙される愉しみが
いまだ奪われていない最近の作品が俄然浮上してくるわけでして、
最終コーナー「多様なイリュージョニズム -現代美術におけるイメージの策謀-」に注目です。
壁になんだってこんなにでっかい水滴がへばりついているんだ?
と思わせる金昌烈の「水滴」(1974年)は、
美術館の壁に鶏や野うさぎが掛けられていると騙される人はいなくても、
もしかしたら水滴ならと、思うかもですね。
本城直季「small planet」シリーズも、どうみてもトミカにしか見えない車が実物の写真であって、
それに手心を加えるとミニカーのようなおもちゃ然とした風情を醸してしまう妙味に、騙されて楽しいところ。
そして極めつけはといえば、パトリック・ヒューズの「水の都」。
正面を右から左に移動しながら見ると、建物が動いて、今まで影だったところが見えてくるという!
絵の真横に経つと、文字通り手品の種明かし状態になるのですけれど、
これは騙される愉しみというより、快楽の域に達していますね。
(ご本人のHPで、種明かし含めて楽しめちゃうことを発見!→こちら
です)
とまあ、現代作品ばかりを褒めてる感がありますが、
トロンプルイユの伝統に根ざして迫真性を目指した歴史があったればこそでしょうから、
そうした変遷を見るにも面白い展覧会であったと思うのでありました。
そうそう、日本の作品もありましたけれど、広重の「即興かげぼしづくし」なるシリーズは
障子に映る影と、その影を実にへんちくりんな体勢でもって作り出している人の姿が
並べて描かれているのですけれど、その中の「入りふね」を影絵で作りだす人間の姿は、
思わず先日TVで見た「フィンガーマン 」を思い出してしまいましたよ。
もひとつそうそう、日本の視覚トリックの達人、福田繁雄 作品もかろうじてひとつだけありました!
