話向きがベルギーにたどりついた とすれば、やはりベルギー出身のルネ・マグリットを置いてはおけません。
ちょうどベルギー王立美術館に付属するマグリット美術館を訪ねるわけですから。
(といっても、空想旅行ですが・・・)
言うまでもなく、シュルレアリスムの超有名画家であるマグリットですけれど、
さすがに最初からそうであるわけもなく、1924年(1898年生まれですから26歳くらいですか)の
「若さ」(Youth/Jeunesse)などは、キュビスムとフォーヴィスムを足して二で割ったような。
UCバークレーの美術館にあるそうです。
それが、まあ時流と性格?がぴたりとシュルレアリスムというものはまったのでありましょう。
ところで、シュルレアリスムとやらも、解説を見ると実にこむずかしいことが書いてあって、
抽象画同様に見る者を阻むところがありますけれど、
ジャクソン・ポロック を探究したときにも「分かったような気になって、好きに語れば良い」と書いたことが
シュルレアリスムでもやっぱりおんなじだと改めて思うわけです。
ということで、あんまり解説に頼ることなく、マグリットの画集を見ていきますと、
あることに気が付くのですね。
当たり前のように「そこ」にあるものは、実は見えているとおりでなくって、
さらにある何かを表してしまおう!とすると、神秘的に受け止められる画面が生まれるということです。
例えば鏡、例えば大気、例えば森、例えば光。
これは「複製禁止」(1937年)という作品ですけれど、
鏡というものは、発想するにはかなりたやすいものですよね。
見えている「鏡」でない「何か」も一緒に、実はそこにありそうだと。
こちらは、「ゴルコンダ」という1953年の作品。
おんなじ服装をした、たくさんのおじさんが宙に浮いている構図です。
この際「おんなじ服装をした、たくさんのおじさん」というのは、
敢えてバリエーションで示さずに単一的に、「人間」と思っておこうかなと思いますが、
肝心なのは「宙に浮いている」点ですね。
大気は目に見えませんけれど、そこにあることが分かっている。
ついでに言うと、そこには重力が働いて、人は地表にいますけれど、このことも理屈でわかっている。
重力は見えませんけどね。
でも、その重力を視覚化しようとした場合、描くことは難しい!(ですよね?)。
だから、逆に無かったことを示すとこうなっちゃうわけで、反対の意味で視覚化してくれちゃってます。
たまご型の岩が宙に浮かんだ「ピレネーの城」(1961年)もおんなじですね。
ただ、あっちの方が詩的ではありますけれど。
Bunkamuraの「だまし絵」展 でも展示された「白紙委任状」(1965年)。
これはもう、森の神秘以外の何ものでもないですね。
本来見えるはずのものが、見えない何かが「ある」がために見えなくなっている。
ということは、見えない何かが見えている…という。
「森っていうのは、そういうところなんだね、きみ。」とマグリット先生がほくそ笑んでいる(?)。
そしてもう一つ、「光の帝国」(1954年)は…と言いたいところですけれど、
長くなるから、また別の機会に「光の帝国」のことを書いてみるとしましょう。
とまれ、こうしてマグリットの絵を「知ったか」してきたわけですけれど、
ベルナール・ノエルという評論家は、マグリットの主題について、こんな風に言ったそうです。
説明的な意味をもつような思考とは手を切らなければならない。
一方、マグリット自身はこんなことを言ったとか。
芸術作品というものは、眼に見える形態には現れない何かを表現すべきである。
まあ、素人考えというのも、当たらずとも遠からずということですかね。
もっとも、「自分には、こんなふうに見えちゃうんだから、仕方ないもんね!」で良いと思ってますけれど。
でないと、絵を見ることが楽しくなくなってしまうかも・・・ですね。


