このところの関心の鉾先 からして、
ふと思ったのは「もともとドイツってなんだぁ?」ということなのですね。
ヨーロッパの国々は、何せ地続きですから、
その領土は大きくなったり小さくなったりという歴史を繰り返しているわけですけれど、
イギリスは島国だから分かりやすいですし、イタリアやスペインも半島部にあるので分かりやすい。
フランスは島でも半島でもないけれど、何となく比較的わかりやすいですね。
ところがドイツ(ドイチュラント)という国は、「あら?いつの間に登場したの?」という気がしませんか。
岩波新書の「ドイツ史10講」にも寄りながら、
簡単なドイツ通史をおさらいしましたけれど、確たることは言えないかなと。
でも、日本と似ているのかなと思ったり。
日本は島ですから、国ということではつかみやすいですけれど、小邦分立の状態が続いていて、
いつのまに「日本」という概念、意識がはっきり出てきたの?という点においてですね。
ゲルマン民族が大移動してきて、
その部族ごとに勝手な領邦を築き始めたところがいったんはフランク王国でまとまるものの、
長子相続といったことが無かったために、843年のヴェルダン条約で王国は3分割。
そして、西フランク王国がフランスに、東フランク王国がドイツに、
真ん中のロタールの王国の南側がイタリアになっていったと。ざっくり言えばですね。
確かにフランスの場合は、987年にユーグ・カペーが王位についてカペー朝となって以降、
王家の交代などはあるものの、フランスは一貫してフランスとしての歴史をたどるわけです。
ロタール王国のその後は、ブルゴーニュ公が大暴れして歴史的に面白いところは多々ありますが、
今回はちとおいといて、東フランク王国のその後です。
西ローマ帝国はとうに滅亡しているのですけれど、
ローマ皇帝の称号だけは生き残っていて、フランク3王国の間を行ったりきたりしていたようですが、
962年に東フランクのオットー1世がローマ皇帝の冠を受けるのですね。
そうすると、東フランク王国はやおら「神聖ローマ帝国」になってしまいます。
受験勉強で世界史をやっていた頃はそういうもんだと思っていたわけですが、
どうやら「神聖ローマ帝国」なる言葉が使われるようになった13世紀半ば以降だと言います。
あとづけなんですね、「神聖ローマ帝国」というのは。
そして「ドイツ史10講」に曰く、
最初からこれは「ドイツ人」の国だったなどと考えたら、大きな思い違いをすることになる。
そもそもオットーの時代に「ドイツ人」の意識などありはしない。(中略)
「ドイツ」という言葉ができる前に、のちに「ドイツ」を呼ばれることになる地域の政治的一体性が
「分国からなる王国」という形で形作られていったのである。
ということなのですね。
この分国、よく使われる言葉で言うと「領邦国家」の分立状態が、
ドイツ地域ではむしろ歴史を作っていくわけです。
その後の歴史では、フランス王国との対抗上、
(さもひとまとまりであるかのような)神聖ローマ帝国がクローズアップされますけれど、
帝国の首都がボヘミアのプラハやオーストリアのウィーンといった言わば辺境の地にあったことは、
むしろドイツらしいドイツの地では、
いまでも州や地域の名で残るバイエルン、ヘッセン、ザクセン、プファルツ・・・などなどの領邦国家が
「ここらはおらんちでけんね」と自己主張してたからかもしれませんね。
ただ、フランス、イギリスといった周囲の国々が中央集権による絶対王制で強大な国を作り上げる中では、
とても太刀打ちできないとの意識(もちろん領土やその他の野心も)があったのでしょう。
ここで「ドイツ人、結集せよ!(でも、親分は俺がやるよ)」と掛け声をかえたのが、プロイセンではないかと。
プロイセンはもともとドイツ騎士団が宛がわれた飛び地で、
ブランデンブルク辺境伯が1618年にこの地を獲得して領地が巨大化、
1701年になってプロイセン王国に格上げされたという新参者。
神聖ローマ帝国の親分であるオーストリアが面白く思うわけもなく、
これを除いた「小ドイツ主義」の掛け声の下に1815年、ドイツ連邦が作られ、
やがてプロイセン王家を皇帝にいただくドイツ帝国になったのは1871年。
江戸時代の幕藩体制が崩れ、1868年の明治維新で
「日本」という国家が出来たのとあんまり変わらないような。
18世紀の初頭には、すでにこんなことを言っていた人がいるそうです。
統合ヨーロッパをつくりだすのは、以前にドイツ帝国(神聖ローマ帝国)をつくったときに比べて、より難しいということはない。要するに、ドイツで小規模に行われたことを、大規模に繰り返しさえすればいいのである。
これまでの歴史を教師にも反面教師にもして、
長い王国の歴史を持つフランスと長らく小邦分立で来たドイツの両国が
ヨーロッパ統合を進めているのは、興味深いものですね。
そもそも、歴史的はドイツという意識がどれほどあったのかと思うと、
「我々はヨーロッパ人だけんね」ということを受け入れやすいかもしれません。
さて、フランスの方はいかがなものでありましょうか。
