いわさきちひろが初めてマリー・ローランサンの絵を見たときに、こう思ったそうです。
どうしてこの人は私の好きな色ばかりでこんなにやさしい絵を描くのだろうか。
自分の好きな色で描かれたというローランサンの絵と、いわさきちひろの絵。
そうと聞く前から似た雰囲気(色調的にでしょうけれど)があるかな…と思っておりましたので、
なるほど!と思ってしまいました。
先にいわさきちひろのことを書いた折 に、
それまではその絵をあんまり気にかけていなかったように言いましたけれど、
ローランサンの絵に対しても全く同様。
ときおり展覧会などで目にしても、「うん、何となくいいね」くらいな感想のままにしていたわけです。
村内美術館 や、閉館してしまった青山ユニマット美術館 でも目にしていたと思うのですけれど…。
ということではありますが、せっかくの機会ですので、少々ローランサン探究です。
マリー・ローランサンは1883年の生まれですから、ユトリロと同い年ということになります。
20代の頃が20世紀初頭ということになりますから、
新しい絵画の潮流、フォーヴィスムやキュビスムなどが認知されるころ合いということですけれど、
ローランサンはどちらの影響をも受けながらも、独自の画風が見て取れるところから、
ジャン・コクトーはローランサンを評して、こう言ったそうです。
フォーヴィスムとキュビスムに挟まれた『牝鹿』
ローランサンは、プーランクのバレエ「牝鹿」の舞台制作に関わっているといいますから、
そんなことも関係したひと言なのでしょうか。
それはともかく、ローランサンの独自性、それは絵を見れば明らかですね。
これは、1913~14年頃の「チェロと二人の姉妹」です。
まるで水彩画のような淡い色調。他の誰でもないローランサンですよね。
ピンク、青、灰色が、ローランサンの大好きな色だったのだそうです。
ただ、この頃はまだくっきりとした線描が残されていますけれど、
だんだんと線は無くなっていくようです。
こちらは、1924年の「マドモワゼル・シャネルの肖像」。
モデルとなったココ・シャネルはローランサンと同じ1883年生まれ。
この絵が描かれた当時は40歳そこそこですけれど、も少し若くも見えるような。
それでも、シャネル自身は絵が気に入らずに受け取りを拒否したということです。
1921年に有名な香水「シャネルNO.5」を発表し、
おそらくは上り調子のさなかにあっただけに、このアンニュイな姿には納得いかなかったのかも…ですね。
それはともかく、その後はますます普通に「ローランサンと言えば、これね」と思われる絵を残していきますが、
こうしたエピソードなどにも目を向けつつ作品に接すると、思わぬ興味の源になりますね。

