2009年は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732~1809)の没後200年だそうです。
そこで、東京交響楽団のオペラシティ・シリーズの5月公演は、オール・ハイドン・プログラムでありました。
「何だか最近の東響って、うまくなった?」と同行の友人と言葉を交わす昨今なのですけれど、
今回は、最初の一音からして、「うん、いい音じゃ!」と思ってしまったのですね。
これは、そうあることではないわけで、月並みな言い方をすれば、
高弦はシルクの肌ざわり、低弦が鳴ればビロードの感触といったところでしょうか。
実にまろやかなわけです。
そんな驚きで始まった1曲目は、交響曲第94番ト長調「驚愕」でして、
ご存じのとおり、タイトルどおりの驚きの箇所は、後から第2楽章に出てくるのですけれど、
やっぱりびっくりしたのは、ハイドンが本来仕組んだ唐突な大音量のところではなかったのでした。
低音の隈取りや楽器間の強弱バランスの取り方の微妙な匙加減によって、
かなりエッジの立った演奏はシャープでありながら、先に言った肌ざわりによって温もりを失わないという。
(ほめすぎか?!)
さらには、本来トゥッティで演奏されるところ(?)にヴァイオリン・ソロを持ってきて、
後列の管奏者が客席に向かって「Tutti?」、「Solo?」、「○」、「×」といった看板を掲げて見せるという趣向。
ファミリー向けのコンサートか、市民オケのスプリング・コンサートだったらありそうですけれど、
結構真剣に身構えてる聴衆は、予告なしの出来事に失笑気味ではありました。
「まあ、GWだしね。サービスだぁね」と受け止めた、この出来事にびっくり!
と同時に、せっかくの看板がたった一度きりしか使われなかったことにも、びっくりでありました。
続いての協奏交響曲変ロ長調作品84は、
ヴァイオリン、チェロ、オーボエ、ファゴットという変則的な組み合わせのソロ群とオーケストラという、
いわばコンチェルト・グロッソですなあ。
当時のロンドンでは、
ヨハン・クリスチャン・バッハ(大バッハの息子ですね)の協奏交響曲がはやりだったようで、
これを意識して作曲したのだとか。
ソロの際立ち方から言いますと、録音で聴くよりも目の前の演奏でこそ楽しむべきもののような。
(何の曲でも、そうだと言えないこともないですが…)
そうそう、ここでのホルンは、もしかしてディスカント・ホルン でしたかね。
さて、最後に登場したのがハイドン最後のシンフォニー、交響曲第104番ニ長調「ロンドン」。
先に94番で言ったことと同様の素敵な音が紡がれる一方、
だんだんとプログラムが進むに従って「のりのり感」が出てきたのでしょう、
一層の力強さが加わったようです。
小さめの編成ですから指揮台も使わず、フロアで手振りするユベール・スダーン氏の後姿も
ダンスを踊るような…というよりむしろ、シャドー・ボクシングのようでした。
とはいえ、目の前にオケの面々がいるわけですから、
時折振り向いてチェロに向かうと、繰り出すアッパーカットが奏者をヒットするのでは!
と、ひやりとする瞬間も。
「おらおら、もっとでばって来いよ!」と煽るごとくですから、気迫としては十二分。
つくづく、ナージャを独奏に迎えた演奏会 でスダーン氏が振らなくてよかったと思うわけです。
まともに殴り合いになっていたような気がして…
ともあれ、いずれもハイドン晩年の作ながら、実に溌剌とした若々しい演奏に、
ふと気づいてみると、コンマスの高木さん やチェロ首席をはじめ、オケの面々からして若々しいかなと。
今の演奏会の普通の形体の中では、演奏時間的に中途半端感のあるハイドンの曲は、
有名なわりにはさほど取り上げられる機会がないように思いますけれど、
古典派という重厚なイメージのほこりを払い、しかも古楽系のように触れば切れるような感じでもない
フレッシュなハイドンは、没後200年のアニバーサリーに回顧するにふさわしく、
あれこれ聴いてみようかなと思わせるに十分なものでありました。
聴衆の熱狂もかなりものでしたし、全曲の終わりに思わず「にこっ」とほほ笑みが浮かぶ演奏会。
それにしても、東響は今、「旬」のようです。
