いつになく探求度合いのくどくなっている「レアリスム 」の関係ですけれど、
いわゆるアメリカのリアリズム (写実主義)と先に触れた「スーパー・リアリズム 」と繋ぐところにいるのがエドワード・ホッパー(1882-1968)ではないか?と思ったものですから、ついつい。


さっそく作品を見てみますが、こんなのはいかがでしょう。


エドワード・ホッパー「ナイトホークス」

1942年の作品、「ナイトホークス(夜の散歩者)」です。
「スーパー・リアリズム」の作家たちが題材としたイメージそのままではないでしょうか。


いかにもニューヨークの裏街、深夜のダイナーでポツリと背を向ける男が一人と
会話も途絶えがちといった風情の男女がひと組。
なぜだか知らずとも「ああ、アメリカ!」なんてふうに思ってしまいますね。


「なんでかなあ」と思うところではありますけれど、

「夜の散歩者」というタイトルが想像を後押しするように、
「映画だね、こりゃ」と気付くわけですね。


「チャイナタウン」でゴールデン・グローブ賞を取った映画監督のロマン・ポランスキーも
この絵の舞台装置は映画監督が考え出したに違いないと考えていたようで、

こんなことを言っています。


それは1940年代の雰囲気に満ち満ちている。それはわれわれの集団的無意識の一部にある、チャンドラーとグッディスの小説の空気である。ホッパーのこの作品がこの時代のギャング映画の雰囲気を再生させたことは事実である。それゆえにこの作品には、ノスタルジーのオーラが漂っているのである。

言われてみると、なおのことそんな雰囲気がしてきますよね。映画の空気の濃厚です。
もう一枚の作品を見てみましょう。


エドワード・ホッパー「夜の窓」

こちらはも少し前の作品になりますが、「夜の窓」(1928年)というタイトルです。
アルフレッド・ヒチコックの作品をご存知の方なら、間違いなく「裏窓」を連想されるのでは。
足を怪我した主人公(ジェームズ・スチュワート)は

アパートの窓から向かいのアパートを覗き見るくらいしか楽しみがないのですけれど、
どうやらお向かいでは不穏な出来事が起こっているらしい…
そんな何かしらのサスペンスを思い出してしまう作品ではないかと思うのですね。


エドワード・ホッパー「ホテル・ルーム」

一方、この手紙を読む女を描いた「ホテル・ルーム」(1931年)に触発されて、

作家のジョン・アップダイクが作った一編の詩。


下着すがたで、目を伏せて
この部屋のヒロインが見つめるのは
剥き出しの膝にひろげられた手紙
目と顔は闇のなかにある
表では目に見えない車の往来に
震える一日が過ぎて行く
部屋の中では、陽の光に色褪せた
1930年代風のビロード張りの椅子の脇に置かれた
荷物が解かれるのを文句を言いながら待っている
・・・
そしてホッパーは言う
「私はフェルメールだ」


手紙を読む女 がいる物音のない室内。

言葉にすると同じようなシチュエーションながら、

フェルメール が描いたのは静謐、ホッパーが描いたのは孤独なのでは…。

そんなところにも「アメリカ」を感じるとすれば、かなりステレオタイプな印象でしょうか。

とまれ、エドワード・ホッパーの世界は、

アメリカならでは雰囲気を醸しているのではないかと思うのでありました。