エドガー・ドガ先生


 私は、ドガ先生を心より敬愛してやまぬ一画家です。

 世の中では多少知られるようになっているとの自負はありますけれど、

どうしても先生にお褒めのお言葉をいただけるようになれないのは、不徳の致すところと思ってはおります。

それでも、明日をも知れぬ病床にあってなお、忸怩たる思いをぬぐい去ることができず、

ぶしつけながらお手紙を差し上げる次第です。


 私は南フランスのアルビという古い街に生まれました。

先生のようなパリ・ジャンとは、生まれながらにして違うということは、致し方のないことです。


 それでも、両足の骨折という不慮の事故が画家という道への契機となったにせよ、

画家を志し、パリに出、結果的に先生の影を追いかけるような経過をたどったことに悔いはないつもりです。

今となっては、そのことが反って先生との接点を遠ざける元になったのかもしれないと

遅まきながら、考えているところです。


 私がアルビから出てきた頃のパリは、百花繚乱のごとくさまざまな絵画の才能が開花するところでしたが、

ドガ先生ほど、私の描こうとするものが「これでいいのだ」と自信を与えてくれる画家はいませんでした。

かつて私は、こんなことを言ったことがあります。

肖像だけが存在するのだ。風景は付属物に過ぎない。ただ風景だけを描く画家は野蛮人だ。コローは肖像によってのみ偉大であり、ミレー、ルノワール、ホイッスラーもそうだ。ドガの風景画が素晴らしいのは、想像の風景だからだ。もしモネが肖像をおろそかにしなかったら、もっと偉大だったろう。

 先生の描く対象が主に人物である点、それも踊り子やサーカスの人々、そして娼婦たちであることは

あまりにも私が興味を抱くところと近接していました。


 先生から直接に教えを乞うことはかないませんでしたが、常に心の中では「生涯の師」とも思っていたのです。ですから、先生には尊崇の念こそあれ、ライヴァル意識のようなものを持ち合わせたことは一度もありません。何しろ、1864年生まれの私より、先生は30歳も年上の大先輩であり、親子ほどの年の差からはむしろ「父」とも思う存在と考えておりました。


 本当の父親からは、両足を骨折し一生を小男として、凛とした伯爵然とした立ち居振る舞いの期待できない存在として疎まれてしまっただけに、先生を父とも思う思慕にはすがるような思いでもありました。しかし、父からの慈愛、それは先生からも決して得られぬものでしたが、私の独りよがりでもあったと今は思えるような気がしています。


 これから申し上げることは先生のお怒りを覚悟しなければなりませんが、先生からむしろ冷淡に扱われたことによって、私は先生を乗りこえられたとも感じられるようになりました。

先生より偉大な画家になったなどという大それたことを言うつもりはありません。

むしろ、先生と同じ油絵などの領域では先生からひとかどの画家としてお褒めいただいたり、

あるいは「ドガの模倣者」の域を脱け出すことが大変に難しい…

それだから、他の画家があまり多く手を染めるわけではない「ポスター」に一つの領域を見出すことができました。


 しかも、ジャポニスムの熱気の中、モネやゴッホでさえ日本の事物を絵の中に取り込むくらいの消化の仕方であったことに対して、日本の「浮世絵」という商業版画を「ポスター」としてフランスに同化させる試みに取り組んだという自負さえ持っております。


ドガ「オー・ザンバサドゥール」(1876年頃) ロートレック「ジャーヌ・アヴリル」(1893年)


 先生に憧れ、先生ひとりを師とも思い、先生を父とも思ってお慕いしたかった。

その願いはかなわぬものであり、思い悩んだ時期もありましたが、いまわの際に思うことは、やはり先生への感謝の念ばかりです。ひとこと、先生にその思いだけでもお伝えいたしたかった次第です。


 これからも先生のご活躍を祈念いたしております。


1901年9月  アンリ=マリ=レイモン・ド・トゥルーズ=ロートレック=モンファ拝



これは(誤解はないと思いますけれど、もちろん)創作です。

このような手紙があったという証拠は、全くありません。


先日、ロートレックに触れた ものですから、も少し探究と思って「ロートレックの謎を解く」(新潮選書)を読んでおりましたところ、もしかしたらロートレックは敬愛するドガにこんなことを言いたかったのではなかろうかと思ったようなわけなのですね。


ドガがロートレックを冷たくあしらったのは、実は嫉妬ではないのかなと思えてきます。

30歳年下の後輩に脅かされるとまで感じていたとは思わないのですけれど、

それでも「これだけ描けて、自分より30歳も若い」ことへの嫉妬。

しかし、没年でいえば、ロートレックが1901年、ドガが1912年ですから、皮肉なものです。


ルノワールは、晩年のドガを評してこんなことを言っているそうです。


もしドガが50歳で死んだならば、彼はすぐれた画家という評判を残したろう。しかし、それ以上のものではなかったろう。彼の仕事が広がり、彼が真のドガになったのは50歳以降であった。

ドガがどれだけ自覚していたかは分かりませんけれど、ロートレックが目の前をうろちょろし始め、

これを意識したからこそ、ルノワールのいう「真のドガ」に到達できたのかもしれません。

これまた、皮肉な話ですよね。